2004年7月7日

低周波音症候群を語る

環境省「手引書」の迷妄

和歌山市  医師  汐見文隆


管理人からの断り

 汐見氏のこの著書は本来下記「もくじ」内容で141ページからなるものです。
 本来は著者が述べられているように「低周波苦問題は誰でも知っているわけではありません。それも、何故低周波音問題であって騒音問題ではないのか。両者はどう違うのか。何故区別して扱われなければならないのか。」が述べられなくては低周波音問題に疎い”一般の人”には理解出来ない面が多々あります。

 しかし、このサイトを訪れる多くの人は既にある程度の知識はお持ちと判断し、また、その知識の多くは既に刊行されている著者の別書に於いても補えるモノです。本来ならば
全文を掲載するのが本義かも知れませんが、後に正式刊行されるご予定もお有りとの事でもあり、敢えて今般は環境省「手引書」に対するコメントとしての緊急性もあるのではと管理人は考え、著者の了解を得て、「はじめに」と「第8章 環境省”手引書”の迷妄」「終わりに」のみを抜粋して掲載します。


はじめに

 1974年、和歌山市の一内科開業医に過ぎなかった私の元へ、たまたま公害問題に関心を持っている医者だということで、和歌山市内のメリヤス工場周辺住民に発生した公害らしい不思議な被害の相談が持ち込まれました。早速現地を訪れてみましたが、煙もほこりも見えず、音も聞こえず、においも感じません。何の事だかさっぱり分からないのに、住民被害らしいものだけが確かに存在していました。それが私と低周波音被害との初対面でした。

 以後30年が経過し、低周波音被害に関する知識も経験も少しずつ増えて行き、その間試行錯誤を重ねながら今日に至りましたが、この間題に対する世間の理解はいまだに極めて低く、多くの低周波音被害者は救いのない状況に放置されています。

 環境庁、そして環境省はその対応を模索してはきましたが、何故か一歩前進、二歩後退を繰返して来ました。それはその背後隼いる理工学系の学者・研究者や、さらにその背後にいる業者、企業の意向が反映されたものともみられます。

 そして20046月、環境省から低周波音問題対応の手引書が発表されました。低周波音被害者にとって待ちに待った救済への道筋であるべきものが、よく読めば逆に「切り捨て宣言」とも言うべきものになっています。そこにあるものは、低周波音の特殊な被害像に対する正しい理解を棚上げして、低周波音被害と無関係とも言うべき”参照値”の採用によって、低周波音被害者の更なる切り捨てと更なる増加を約束するものでした。

 この状態は、約半世紀前の水俣病の発生当時の国の対応となんら変わりはありません。違いは、水俣病は死にも至る重篤な疾患であるのに対し、低周波音症候群はいかに苦しくとも基本的に死に至らない疾患であることでしょう。切り捨てても犯罪視されることは少ないという気楽さでしょうか。

 低周波音被害でこの”参照値”に引っ掛かるのは、一部の例外でしかありません。“参照値”が世間に認知されると、低周波音被害者はもはや裁判でも勝つことは困難です。救いはないのです。

 これまで世の中を便利に快適にするはずの諸機械・装置の増加・普及が、低周波音源の増加、低周波音被害者の増加をもたらして来ましたが、環境省の手引書のお墨付きをもらって、企業は大手を振って音源機械・装置を普及して行くことでしょう。

 救われない低周波音被害者の大量生産。それがこの手引書の目指す必然的な行き先です。

 私は全国保険医団体連合会・公害環境対策部の一員です。

 低周波音被害に関しては、全国保険医団体連合会(保団連)公害環境対策部としてこれまで2回環境省と面談し要望して来ました。2002829日、及び20031127日です。

 いずれも要望の最重要項目は、感覚閾値の採用を否定することでした。しかし、この”参照値”は感覚閾値の身代わりその物です。

 環境省は国民を不幸に導くことを使命としているのではないはずです。このようなマイナス行政は、1967年の公害対策基本法施行以来の歴史的事件です。その許せぬ思いが本書です。


も く じ

はじめに

    第1章  低周波音被害のあらまし

・低周波音とは
・不定愁訴
・自律神経失調症
・低周波音被害は疾患である
・低周波音症候群

    第2章  低周波音の測定

・低周波音測定の重要性
音の大きさ
低周波音の発生源
低周波音測定の心得
秘密測定
低周波音測定者の心得
周波数分析
低周波音測定のまとめ

    第3章  騒音被害と異なる低周波音被害

・騒音レベル
騒音と低周波音との違い
騒音被害と低周波音被害
マスキング
脳味噌
低周波音被害者の訴える音
頭蓋骨貫通説
骨導音の悲劇
骨伝導携帯電話
あるテレビ番組から
低周波音症候群・再考

    第4章  低周波音公害暗黒史

・公害としての位置付け
基準とは
どこに基準を取るのか
基準は被害者にあり
すでに感覚閾値があった
初心に返れ
低周波空気振動調査報告書
測定マニュアル
G特性
測定器 NA18A
低周波音問題特集号
低周波音全国状況調査
公害ではない?

    第5章  被害者の叫び

・NPO法人 住環境の騒音・振動・低周波音を考える会
講演会・質疑応答T
講演会・質疑応答U
自然科学と因果律
分かったら地獄
ある地方の声から

    第6章  感覚閾値の異常感覚

・感覚閾値とは
低周波音被害の特異性
論理矛盾
被害例 T −和歌山市−
被害例 U −大阪府−
被害例 V −奈良県−
被害例 W −東京都−
被害例 X −兵庫県−
被害例 Y −北関東−
被害例 Z −大分県−
被害例のまとめ 
被害例の転帰 

    第7章  低周波音被害者の周辺事情

・私の測定 
行政の測定
低周波音被害者の惨状 
原因療法 
やさしさ欠乏症候群 

    第8章  環境省「手引書」の迷妄

・手引書作成のお知らせ
主題の定義が行方不明
感覚閾値から”参照値”へ 
参照値を下回る場合
聴感特性実験とG特性

終わりに 


    第8章

環境省「手引書」の迷妄

感覚閾値は“参照値”と名を改めて生き残った。

これでも低周波音被害者を救う気があるのか。


手引書乍成のお知らせ

「低周波音問題対応の手引書」作成について(お知らせ)

平成16622日(火)

環境省環境管理局大気生活環境室

室長  上河原献二(内線6540

補佐  由衛 純一(内線6543

担当  斎藤、平野(内線6546

 これは、(社)日本騒音制御工学会に設置された「低周波音対策検討委員会」(委員長:時田保夫(財)小林理学研究所)における検討結果を取りまとめたものであり、…としています。

[経緯]近年、低レベルの低周波音に対する苦情が見受けられる。

   これらの苦情の多くは暗騒音が小さい静かな地域の家屋内に

   於て発生しており、…

    環境省は、このような苦情に対する的確な対応のあり方の

   検討を、(社)日本騒音制御工学会に委託し、同学会におい

   て平成148月学識経験者等からなる低周波音対策検討調

   査委員会が設置され、本件について検討が行われた。

 

 その委員会の検討委員名簿が記載されています。[表6]こんなそうそうたるメンバーを揃えておいて、それでどうしてこのようなお粗末な「手引書」になるのでしょうか???

 

表 6   低周波音対策検討委員会・検討委員名簿

委員長  時田保夫 (財)小林理学研究所 監事

副委員長 山田伸志  山梨大字工学部 教授

委員   犬飼幸男  産業技術総合研究所 

   人間福祉医工学部門 客員研究員

委員   井上保雄  アイ・エヌ・シー・エンジニアリング(株)

             技術本部エンジニアリング部 部長

委員   大熊恒靖  日本騒音制御工学会認定技士

委員   沖山文敏  川崎市環境局公害部 部長

委員   佐藤敏彦  北里大学医学部 助教授

委員   塩田正純  飛島建設(株)常務執行役員技術研究所担当

委員   鈴木陽一  東北大学電気通信研究所 教授

委員   瀬林 伝  元神戸市環境局

委員   広瀬 省  ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 顧問(医師)

委員   町田信夫  日本大学理工学部 教授

幹事   落合博明  (財)小林理学研究所 騒音振動第二研究室 室長補佐


主題の定義が行方不明

低周波音問題対応の手引書

平成166

 私はこの手引書を、全国保険医団体連合会(保団連)の事務局から送っていただいて、630日に入手しました。決して楽しい文章ではありませんが、早速読んでみました。

 そしてまず感じましたことば、−体これは何を書いているのか、何を手引きしようとしているのか。これを読んだ主な対象者とされる地方公共団体職員が当惑するのではないかということでした。

 およそ論文をはじめこうした文章は、その論述する主題の定義をはっきり読者に納得させることが基本の第一歩です。ところがどうもそれがはっきりしません。読み終わった後も、まだよく分かりません。こんなもので低周波音問題をよく知らない地方公共団体職員をうまく手引き出来ると思っているのでしょうか。

 この手引書の主題は「低周波音問題」です。「騒音問題」ではありません。騒音問題なら誰でも知っていますから、わざわざ説明する必要はないでしょう。しかし、低周波苦問題は誰でも知っているわけではありません。それも、何故低周波音問題であって騒音問題ではないのか。両者はどう違うのか。何故区別して扱われなければならないのか。その説明が何もないのです。

 その基本は、低周波音被害(低周波音症候群)をきっちりと理解させることです。騒音被害と低周波音被害との遠いを明確に認識させることです。ところがそのような論述が見当りません。その基本を分からせようとせずに、末梢の技術的なことばかりを、ああやれこうやれと書き連ねているのですから、訳が分からないのです。

 [第3章 騒音被害と異なる低周波音被害]で、騒音被害と低周波音被害とは違うということを述べました。両者は共に空気振動、但し周波数が違うだけという兄弟のような仲と思われがちですが、「兄弟は他人の始まり」どころか、まるで赤の他人のように相反する現象と反応を示すのです。騒音被害は大抵”苦情”のレベルですが、低周波音被害は”疾患”(低周波音症候群)のレベルです。

 これに追加して、さらに[第5章 被害者の叫び]で述べておりますことは、200428日の「NPO法人認証記念講演会」において起こった出来事です。

 この講演会の講師は、山田伸志教授、犬飼幸男氏、塩田正純氏。お三方とも「低周波音対策検討委員会」の検討委員です。

 そのお三方の講演、説明に対し、低周波音被害者とみられる会場の女性から、怒りの叫び声が発せられたのです。

 「先生、ちょっと今のお話で納得いかないんですが。」

 「いや、だからね、”基準”を強調されますけれど、こっちも、受ける方も人それぞれ遠いますよね。本当にそんなに心の持ち方で変わるものならね、こんな所へ来ませんよ。そんなものを遥かに超えてるんですよ。皆さんいらしている方は。」

 これは講師たちの低周波音被害の認識と説明に対し、実際の被害者自身が全面的に異議を唱えたものと考えられます。それから4か月余、その異議に対する検討、反省があったとは思えません。

 上河原献二・環境省大気生活環境室長も講演会に出席しておられましたが、何の対応も起こされなかったようです。

 この講演会の前も後も、低周波音被害者の声は黙殺され、その深刻な被害像は、それほど深刻とは思えない騒音被害と同列に扱われたままです。低周波音被害者が怒るのももっともです。

 こんな扱い方を地方公共団体職員に押し付けられては、地方公共団体職員も正しい対応などできるはずはなく、低周波音被害者の苦難は火を見るよりも明らかです。

 何故低周波音被害を正しく理解しようとしないのでしょうか。

 この手引書では、「ある時間連続的に低周波音を発生する固定された発生源(工場及び事業場、店舗、近隣の住居などに設置された施設等)から発生する低周波音について苦情が発生した場合」に対応し、「交通機関等の移動音源や発破・爆発等の衝撃的な音源には適用しない」となっています。これには基本的に賛成です。

 その低周波音による被害を、以下に2大別しております。

   @ 低周波音による物的苦情

   A 低周波音による心身に係る苦情

 @の物的苦情とは、家具・建具のがたつきのことですが、物質的・工学的な問題であり、大した被害ではありません。

 重要なことはAの心身に係る苦情です。そこにおいて、騒音と低周波音とには大きな、決定的とも言うべき相違があるのです。ところが、手引書では、単に「心身に係る苦情」で一括し、その内容に一歩も踏み入れようとしないのです。まるで伏魔殿の扱いです。


感覚閾値から“参照値”へ

 感覚閾値については[第6章 感覚閾値の異常感覚]を中心に、徹底的に批判させていただきました。これが低周波音被害者否定の根本的犯人と考えるからです。

 さらに低周波音被害の問題については、全国保険医団体連合会・公害環境対策部としてこれまで2回環境省に面談し要望してきました。2002829日及び20031127日です。

 いずれも要望の最重要項目は「感覚閾値の採用を否定すること」であったわけです。それがどうなりましたか。

 感覚閾値という言葉は止めて、”参照値”という優しそうな言葉に変わりました。でも中身の本質は変わりません。保団連の要望は名前を変えてくれと言うのではなく、中身を捨ててくれということでしたが、名称が変わっただけで本質は温存されました。

 感覚閾値という言葉も素人には分かりにくい言葉でしたが、私がこの間題を知った30年前より以前から使われてきておりました。聞こえる、あるいは感じる最低の限界値で、厳密な実験値でした。当然それ以下は聞こえず、感じないのだから、被害が発生しようがないという簡単明瞭な考え方です。所が感覚閾値以下の音圧で低周波音被害者が輩出するから困るのです。

 [図14 101ページ]では、被害現場のピーク値は、

     感覚閾値に達しない被害例     14例

     感覚閾値を超えている被害例     8例

というのが私自身の経験です。

 では新しく登場した優しそうな言葉“参照値’’ではどうなるかと言えば、この私自身の被害例を当てはめると、

    ”参照値”に達しない被害例      17

    ”参照値”に一致する被害例      1例

    “参照値”を超えている被害例     4例

 優しくなるどころか、不合格がさらに多くなっています。

 「手引書」では、このように書かれています。

 「13オクターブバンドで測定された音圧レベルがいずれの 周波数においても参照値未満である場合は、100Hz以上の騒音や、地盤振動など他の要素についても調査する。ただし、参照値以下であってもまれに心身に係る苦情が発生する場合があるため、参照値との差を参考に問題となる周波数を推定し、原因となる発生源があるか検討する。」

 22例中17例が参照値以下である場合、日本語では「まれに」という言葉は使いません。「ほとんど」とか「大部分」という言葉を使います。逆に22例中4例が参照値をこえていることを「まれに」と表現するのです。

 実際の低周波音の被害例のほとんどは、参照値以下の音圧で被害が発生しておりますが、まれには参照値を超える場合もあります。要するに低周波音被害の判定に、参照値はほとんど無意味です。

 本書の61ぺ−ジに記載した、この低周波音対策検討委員会の委員長である時田保夫氏の言葉を再録しましょう。

 「閾値という意味は音波の存在がわかるということで、苦情と直接結び付く値ではない」

 これまで私が本書で使用した感覚閾値は、[図6 83ページ]の「平成153月 低周波音対策検討調査(中間取りまとめ)」から、最も小さい値を読み取って感覚閾値曲線として無断で盗用させていただいたものです。この感覚閾値と“参照値”とでは特に高い周波数において開きが出ております。[表7][図16

 感覚閾値は聞こえる、あるいは感じる最低値です。低周波音はともかく、騒音の場で聞こえる、聞こえないのぎりぎりのところで、被害、苦情が出るというのも余りに過敏過ぎます。ですから高い周波数のあたりで、参照値のデシベルが感覚閾値のデシベルより大きくなるのも当然に思えます。納得します。

 問題は「低周波音による心身に係わる苦情に関する参照値」が何故10ヘルツから80ヘルツまでなのかということです。[表7]低周波音被害の下限が10ヘルツというのは、私の実経験と一致します。それが偶然なのか、理由あってのことか、一言の説明もありません。私も内耳が10ヘルツ未満を受け付けないのだろう位しか考え付きませんが、有無を言わさずの切り捨てです。

 同じく上限の80ヘルツについて私は低周波音被害はまあ40ヘルツ位までとしています。いずれも個人差が著しく、私自身の経験も限られていますから、絶対の自信があるわけではありませんが、50ヘルツ以上は経験上騒音と判断しております。参照値ではなんの説明もなく80ヘルツまで低周波音のままで、どうも欄外になる100ヘルツ以上が騒音扱いのようです。

 これが低周波音被害と騒音被害との無差別的取扱の原点です。

感覚閾値と”参照値”


参照値を下回る場合


 「手引書」で例示された心身に係わる苦情の場合の判定例」の、「卓越数端数があるが参照値を大きく下回る場合」です。

 手引書では、本例について低周波音被害を否定する気持ちが強いようですが、私は肯定的です。勿論私は対象者の被害内容を正確には知らない訳ですが、わざわざ測定が行われているので、一応低周波音被害を想定させる訴えがあったと仮定して推理してみます。

 この図に示されるデシベル数値の概略を読み取りますと、

  8  ヘルツ  53.5デシベル
 10  ヘルツ  62  デシベル
*12.5ヘルツ *67.5デシベル
 16  ヘルツ  59.5デシベル
 20  ヘルツ  55  デシベル
 25  ヘルツ  55.5デシベル
 31.5ヘルツ  48.5デシベル
 40  ヘルツ  44  デシベル

 125ヘルツにピーク(卓越周波数)があり、そのピーク値は約675デシベルです。

 私の経験では、低周波音被害の際は1040ヘルツの間に60デシベル前後(55デシベル以上)のピーク値が測定されるということですから、この例は完全に合格です。更に付け加えれば、低周波音のピーク値の周波数はあまり関係ありません。経験的に、大体10ヘルツから40ヘルツとの間であれば良しとします。

 それに対してこの図にある参照値の垂直に近いような線は、異常としか言いようがありません。125ヘルツの参照値は88デシベル、この症例の約675デシベルより20デシベル以上も大きい数値ですから、とても此の世のものとは思えないのです。

 このピーク値が犯人なのかどうか、それを更に確認する手段は、騒音だ、地盤振動だなどごちゃごちゃ言わずに、対照データを求めることです。音源の操業が停止し、身体が楽になった時点を測定して、ピークが消失しておれば確実です。操業の停止が不明確な場合は、もし被害者が避難している居室があり、そこなら楽だ、どうもない、あるいは安眠できるという場所があれば、そこを測定して、そこに問題の周波数のピークが存在しないことを明らかにすれば、その被害者の訴えの正体を明らかにできるはずです。この”参照値”の奇怪さに対し、奇妙な煙幕が張られています。

 本手引書に示されている参照値は、苦情の申し立てが発生した際に、低周波音によるものかを判断する目安として示したものであり、低周波音についての環境アセスメントの環境保全目標値、作業環境のガイドラインなどとして策定したものではありません。

 意図がよく分かりませんが、要するに出来るだけ責任は取りたくないということのようです。その最小限度の責任として、低周波音被害の判断にのみ使えというのですが、それがとんでもない代物であることば、理解いただけたかと思います。

 何のために、誰のためにこの参照値はあるのでしょうか。少なくとも、低周波音被害に苦しむ被害者たちのためにあるのではないことだけは確かなようです。そしてそれ以外に使うなとは?


低周波音測定の要領から

 施設等を5分から10分程度の間隔で稼働・停止し、苦情者が施設等の稼働・停止を識別できたか、苦情の状況が変化したかを、苦情者が家の中で一番低周波音を感じる場所であると申し出る部屋において確認する。なお、低周波音の音圧レベルが小さい場合には、低周波音が聞き取り難い(感じにくい)こと・不快感は多少残ること・車の通過などの暗騒音によって識別が邪魔されることがあることから、稼働・停止の識別の時間として数秒程度のずれはあり得る。

 数か月、数か年の潜伏期を経過して後発病する、慢性・超慢性の被害である低周波音症候群。現場を離脱しても治癒に1年前後もかかる低周波音過敏症。そんな長期間の問題を、5分から10分程度の間隔で稼働・停止して識別できるものかどうかとか、数秒程度のずれはあり得るとか、何か異次元の問題のように思われませんか。

 騒音を聞き取るというのは瞬時的なものですから、騒音被害ならこれでもよいでしょう。しかし、低周波音被害は音が聞こえることは主役ではありません。複雑・微妙な不定愁訴の多様な症状です。音源が停止すればすぐ消失する鋭敏な症状もあれば、12時間しないと治らない症状から、翌日まで持ち越す症状まで多様です。

 それに、我が家に見知らぬ恐いお役人さんが何人も押し掛けて来て、見慣れない測定機類をどっさり担ぎ込まれて、それで気の弱い一般市民はこの微妙な被害症状をいつも通りに感得できるものでしょうか。低周波音被害は平穏な日常生活の中で発現するもので、非常事態の緊張した精神状態ではうまく感得しないかも知れません。

 ところが、うまくいつも通りに感得出来なければ、関係なしとされるか、いい加減なことを言うヤツと馬鹿にされかねないのですから、余計緊張するかも知れません。ひどい話です。

 

 私は30年近く以前に時田保夫委員長にお会いしております。

「低周波空気振動等実態調査報告書」

昭和523

財団法人 小林理学研究所

 環境庁の依頼により、当時全国に名を馳せた10か所の低周波音被害現場の実態を調査したもので、担当責任書が時田氏でした。

 私の初体験の和歌山市のメリヤス工場も候補に選ばれており、その調査時、短時間時田氏にお会いしました。

 ところがその時、時田氏からある内緒の話を聞かされまして愕然としたことを、いまだに記憶しております。

 昼休みの時間、メリヤス工場の機械を全部止めておいて、隣家の被害者夫婦に「今、出ていますか」と尋ねたら、「出ています」という答えだったと言われるのです。

 新米の私は、一方では半信半疑でしたが、「これはあかん」とも思いましたが、西脇東大名誉教授の測定という権威もありまして、無事調査報告書に載っていました。

 本当に全機械停止であったかどうか疑問が残りますが、不定愁訴というのはそういう不確定さを伴っているのです。


聴感特性実験とG特性

 低周波音被害は個人差が大きく、被害者は周辺で1軒、家族の中で一人だけということが少なくありません。逆に言えば周囲の誰にも分からないのに自分だけ分かるのです。自慢にはなりませんが、私ならと言う変な誇りみたいなものがないとは言えません。

 感覚閾値の実験ではあんな大きなデシベルでなければ分からないとは、なんと鈍い連中か。私ならもっと鋭敏なことを証明出来る自信がありますという訳です。

 他方、感覚閾値を実験的に研究している学者・研究者たちも、そんなに鋭敏なら是非そういう被害者の感覚閾値(聴感特性)を実験して、どんな結果が得られるのか調べたいと考えるのも当然です。

 しかし、我こそはと自信満々で実験に協力した低周波音被害者たちは、感覚閾値は普通の人たちと変わりないと告げられて、首をひねりながら、すごすごと引き上げて来ました。

 苦情者は感度がいいと言われることがある。このことを確認するために、平成15年度に苦情者と一般成人を被験者として最小感覚聞値の実験を行った。苦情者についての実験結果からは「苦情者は感度がいい」という結果は得られなかった。むしろ、データ収集の協力が得られた苦情者は高齢者が多かったためか、最小感覚閾値の平均値は一般成人と比較して高い値(感度の悪い状態)であった。

 低周波音被害者の感覚聞値は一般の人と変わらないどころか、むしろ、悪い位だというのです。優秀な成績を確信して受験したら、平均点以下であったようなものです。

 それで低周波音被害者を馬鹿にしてはなりません。信じられないような不思議な被害に遭遇している気の毒な人たちなのです。

 この事は、感覚閾値の実験そのものが、被害現場の低周波昔被害と全く関係ないことを教えていると理解するべきなのです。

 低周波音被害者は狂気の天才ではありません。感覚閾値の実験が狂気の実験なのです。

 G特性も感覚閾値に関連した研究結果です。

 これが駄目なことは[G特性 57ページ]で既に述べました。

 更に[図5 65ぺ−ジ]で、環境省の調査結果報告書を示し、固定発生源では90デシベルを超えた測定数値は1例もみられなかった事が明らかになっています。

 保団連の2回の環境省への要望でも、G特性測定を止める事を求めて来ました。

 ところがこの「手引書」では、「心身に係る苦情の場合の評価」として、「G特性音圧レベルが、評価指針で示される92dB以上の場合は、超低周波音の周波数領域で問題がある可能性が高い。」と書かれています。そんな実在しないような数値をわざわざ掲げる必要がどこにあるのでしょうか。理解出来ません。

 本手引書がいかにいい加減なものであるかを改めて証明してくれたようなものです。


終わりに

 低周波音公害から出発して、疾患としての低周波音症候群の認識へ。そして、既に30年の年月が流れました。低周波音問題は私のライフワーク以外の何物でもありません。

 しかし、これは今なお悲しい物語のままです。低周波昔被害者は増加し、低周波音被害の原因機器は増加して行くというのに、有効な予防法も、診断法も、治療法もありません。

 20046月、環境省から「低周波音問題対応の手引書」が出ました。これが診断の手引きになると誰しも期待したかも知れませんが、そこに示された“参照値”は被害を切り捨てる役割を持った“参照値”です。低周波音被害者は更に追い詰められたのです。

 低周波音被害については被害者以外の多くの一般人は知識を持っておりません。そこへ環境省のお墨付きとして誤った”参照値”が出ればどういうことになるのか。暗たんたる思いです。

 今、参議院選挙の最中です。年金問題、イラク問題、憲法九条問題が大きな争点です。それは、この国がどんどん悪くなっており、弱者に対する優しさが次々と失われていることを教えています。

 それはまた、ほとんどの一般国民がよく知らない低周波音問題でも同じ状況なのです。この国はどれだけ悪くなって来ているのか。そのことを指摘しないわけにはいかないという思いです。

200477      汐見 文隆