第19回 保団連医療研究集会記録集

特集 健康と環境

日時:2004年9月18日(土)〜9月19日(日)
場所:四日市市文化会館
主催 全国保険医団体連合会
主務 三重県保険医協会

第4分科会−13〈公害・環境・職業病〉
低周波音被害と感覚閾値

〔発 表 者〕汐見 文隆
(内科)


低周波音被害と感覚閾値


頭蓋骨貫通説 低周波音は頭蓋骨を貫通して”聞こえる”

     
 低周波音被害は音(空気振動)による被害であるが、一般の騒音被害(やかましい)とは全く異なる。

 @被害内容は不定愁訴を中心とする。
 A個人差が著しい−同じ環境で、全くどうもない人から、ひどく苦しむ人まである。
 B遅発性である−数週間・数ヶ月・数年の潜伏期がある。
 E慣れることばなく、次第に鋭敏化して行く。(低周波音過敏症)
 D遮音されにくい。窓や戸を閉めれば苦しくなる.防音対策は被害をひどくする。
 E普通音によって苦痛が緩和される。(マスキング)

 つまり、同じ空気振動による被害でありながら、低周波音被害と騒音被害とは全く異質の被害であることを教えている。低周波音被害と騒音被害とは、感知するメカニズムが異なると考えざるを得ない。
 低周波音被害現場を測定すれば、10Hz〜40Hzの間にピーク(卓越周波数)が認められ、そのピーク値は60dB前後(まあ55dB以上)である。
 生活の場にこのような低周波音が長期間継続して存在する中で、被害が発生する。
 低周波音の物理的性質は、一般騒音に比べて遮音されにくいのが特徴である。

 音(空気振動)が伝わる途中に壁などの障害物が存在すると以下の4つの行動を取る。

   @ 反射
   A 吸収
   B 透過
   E 回折(壁の上を乗り越えて回り込む)

 周波数が低いほど、反射・吸収が少なく、透過・回折が大きくなる。防音壁が逆効果なのは、低周波音はそれ程減衰しないのに、騒音は著しく減衰するため、騒音によるマスキング効果が失われるためと考えられる。

 「脳は豆腐のように柔らかい」と言われる。その脳を保護するため頑丈な頭蓋骨が作られ、精密装置である内耳もその頭蓋骨の中に保護されている。
 頑丈な頭蓋骨は同時に遮音壁となって、音が直接内耳に到達するのを妨げる構造になっている。そこで頭蓋骨にトンネル(外耳道)を掘り、耳介という集音器を用意して、この遮音壁の問題を克服し、一般の聴覚が成立している。
 しかし、聴覚の不明確な20Hz前後の周波数領域では、その透過性能を利用して、頭蓋骨を貫通して外の空気振動が直接内耳に到達できるのではないか。それが、低周波音被害と騒音被害との正反対のような相違を説明する理由と考えたい。
 この頭蓋骨貫通説は聴覚本来の働き方とは全く異なるものであるから、その稼働には、個人的な能力の相違(個人差)と、低周波音環境の相当長期間の存在(潜伏期)と、習熟の必要性(鋭敏化)とを推定すれば、両者の相違を説明できるのではないかと考える。

 感覚閾値とは、いろいろな周波数(純音)に対して、どの程度の音圧レベルで聞こえる(あるいは感じる)かを、実験的に検査した数値である。若干の個人差を考慮しても、その感覚閾値以下では聞こえず感じないのであるから、感覚閾値以下では被害は有り得ないという単純明解な考え方が存在してきた。
 しかし、現実の低周波音被害では、むしろ過半数において、その被害現場のピーク値が感覚閾値以下である。感覚閾値は被害と明確な関連を示さない。


 上図は、1976年に、大阪府下で経験した綿実油工場による低周波音被害例である。
 工場と被害者宅は65m離れており、30年来併存していたが、工場の拡大・増強のどこかの時点が引き金になったのであろう。1974年、まず騒音問題として始まり、騒音対策が行われたがその半年後から奥さんに、頭痛、吐き気、肩凝りなどの症状が始まり、やがてめまい、動悸、耳鳴り、不眠、嘔吐へと悪化して行った。
 工場は24時間操業で日曜日だけが休みである。日曜日の午前9時に機械が止まると、スーツと身体が楽になるが、月曜日の午前9時に操業が再開されると、たちまち苦しみのた打つようになり、このままでは殺されると、急いで我が家から逃げ出した。
 操業中の測定では、同家の居間で、16Hzにピークがあり、65dB。それが日曜日の休業中には、ピークは消失して16Hz、46dBであった。その差19dB。これで奥さんの症状は完全に証明されたと考えた。
 その後大阪府が同じ場所で測定し、16Hz、67〜68dBであったという。ところが「これ位の値では被害は考えられない」と否定された.日曜日の対照測定はない。

 実は当時既に感覚閾値が存在しており、16Hzでは大体90dB前後の値であった。確かに70d B以下の数値は問題にならないことになる。しかし、この被害症状をどう説明するのか。問題にならないのは被害事実ではなく、感覚閾値の方ではないか。

 2004年6月22日、環境省環境管理局大気生活環境室から「低周波音問題対応の手引書」が公表された。そこでは“参照値”が提起されている。
 「低周波音による心身に係る苦情に関する参照値」は、感覚閾値を基盤とする実験値であって、図の16Hzについては83dBとなっており、被害者の16Hz-65dBとの差は18dB、まず関係のない数値ということになる。
 「手引書」では、「感覚閾値及び心身に係る不快感についての評価実験結果」として、苦情者は感度がいいと言われることがある。このことを確認するために平成15年年度に苦情者と一般成人を被験者として最小感覚閾値の実験を行った。苦情者についての実験結果からは「苦情者は感度がいい」という結果は得られなかった。
 つまり、この最小感覚閾値の実験では、苦情者と一般成人とを明確に区別することが出来なかった。と言うことは、この最小感覚閾値の実験データは、苦情者と一般成人とを鑑別するためには使えないということである。
 同時に、この最小感覚閾値に依拠する参照値もまた、低周波音被害の鑑別に使用できないはずである。それがどうして“参照値”として登場し、これを参照して区別しなさいと堂々と主張できるのか。
「参照値以下であってもまれに心身に係る苦情が発生する場合がある」と僅かに逃げ道を作っているが、図の場合の18dB差では逃げようがない。
 更に私の経験例22例を拾ってみると、参照値に達しない被害例は17例に及び、決してまれになどというレベルではない。

 全国保険医団体連合会は、2002年8月29日及び2003年11月27日の2回にわたり、環境省と面談して、「感覚閾値の採用を否定すること」を要望してきた。
 それが“参照値”と名を替えて、正式に登場してきた。

 これではほとんどの低周波音被害者は切り捨てられることになる。それは被害者の訴えによって僅かに抑制されてきた低周波音被害環境が、緩和・放置されることを意味する。