低周波音公害・最近の話題
U 感覚閾値ハラスメント(カンハラ)

2003年9月
医師  汐見 文隆



  
はじめに

 最近ドクターハラスメント(ドクハラ)という言葉が流行っている。毒ハラを連想させる。医者が無神経な言葉や態度で患者を傷付ける。それに案外当の医者は気が付かない。 ところが医者自身が重い病気にかかり、患者の立場になって初めて気付くことになる。そうした患者体験を医者自身が語り始めた。
 *「がん患者として長期生存する医者たち」(菊池憲一著、海拓舎)
 *「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(頼藤和寛著、文春新書)
 *「医者が癌にかかったとき」(竹中文良著、文芸春秋)
 「我が身をつねって人の痛さを知れ」というたとえの通りである。
 ところが、低周波音の感覚閾値というおかしなものがあって、長年低周波昔被害者を切り捨ててきた。これは周波数(ヘルツ、Hz)毎に、どの程度の音圧レベル(デシベル、dB)ならその低周波音が聞こえる、あるいは感じるかを実験室で調べた実験値である。しかし、当の理工学系の学者・研究者は、肝心の低周波音被害を実感できないので、そのおかしさを理解できないらしい。我が身をつねることができないでいるのである。
 かく言う私も、随分低周波音の修羅場をくぐっきた身だが、その被害は実感できない。自分で言うのもなんだが、私自身あまり優しい人間とは思えない。当然ドクハラの対象になっても仕方がないところだが、低周波音被害に限ってはそうはならなかったのは、偶然の巡り合わせかもしれない。それは二つの低周波音公害に対する初体験のお陰である。


  メリヤス公害

 1974年のこと、和歌山市内のあるメリヤス工場の周辺に不定愁訴を訴える被害者が
数十人規模で出ているということで、被害者側から相談が持ち込まれた。
 一番強く被害を訴えたのは工場の隣家の住人で、戦前からメリヤス工場と平和に共存していたのが、戦後の生産の増強と製造機器の進歩によってであろう。いつしか被害を覚えるようになった。被害はまず6年前奥さんに現れ、4年の時差で2年前夫にも現れた。
 隣同士だから原因が隣の工場であることば明らかであった。きつい時電話で文句を言えば一時的に弱くなるが、暫くするとまたきつくなるの繰返しであった。
 しかし、水俣病、イタイイタイ病、大気汚染疾患といった典型的な公害病の知識はあっても、この不定愁訴被害が何か、私にはさっばり分からない。不定愁訴など日頃世間に一杯ある訴えだが、確かにこの工場周辺には多すぎる。しかし、理由が分からない。
 こうして1年余首をひねり続けたが、1975年、NHKテレビ「明日への記録」は、
“超低周波音公害”を報道して答えを教えてくれた。この番組に登場した東大工学部名誉教授西脇仁一先生にお願いして測定していただくことができた。(第1図)

 メリヤス工場のコンプレッサー室内が音源となっており、16ヘルツ、92デシベル。
それが工場内でも端近くへ来ると78デシベルであった。後に和歌山県が住民苦情を受けて隣家の室内で測定して、全機稼働48デシベル、全機停止44デシベル。その差は僅か4デシベルだから工場の稼働と関係なしと宣言した。しかし、その後住民から文句が出て隣家の同じ場所で秘密裏に再測定したら60デシベルまで出ていた。
 それにしても工場は随分上手に全機稼働したものだと感心していたら、最近総務省の役人とこの話をしていた時、それは全部動かしていませんよとの御託宣であった。和歌山県も信用がないなあとその時は思ったが、あるいは役人の常套手段なのかもしれない。
 測定の時西脇先生に余計な質問をした。「先生は随分あちこち測定しておられますが、先生ご自身どうもないのですか?」「私はお腹で感じます」ということであった。まだ被害症状と感じる・分かるとの区別がしっかりしていなかった当時であったが、後に考えると先生は感じる・分かるであって、それで痛いとか苦しいとかはない。つまり感覚閥値のレベルであって、被害症状のレベルではなかったようである。
 それに対し私は全く鈍い。被害現場の60デシベル未満では、感じない、分からない、聞こえないである。そこで「今日はきついですか?」「きついです。頭痛がして、どうきして、‥‥」。つまり状況は被害者に一々教えて貰わないと判断できない。それが被害者の訴えを重視する習慣付けのもとになったとすれば、何が幸いするか分からない。


  遠隔操縦被害

 このメリヤス公害が大きく報道された新聞記事を見て大阪府から尋ねてきた人がいた。ある綿実油工場の近くに住んでいるが、その奥さんが工場の操業と連動するような形で、頭痛、吐き気、肩凝り、耳鳴り、めまい、不眠、体重減少を来したという。工場は連続操業であったが、休日である日曜日午前9時に工場機械がとまると、たちまちスーツと楽になるが、月曜午前9時に操業が再開されるとたちまち苦しみのたうった。それはまるで、一人の人間が遠くの機械で遠隔操縦されているような悲惨な情況であった。遂には、このままでば殺されると、築5年の我が家を逃げ出す羽目に陥った。
 夫は解決に奔走し、後には我が家を相手企業に買い取らせてこの問題にけりがついた。まだ経済興隆期で企業も金回りがよかったのだろう。この不景気の現在では、なかなか買い取りには話が進まない。
 その御主人に「奥さんは随分ひどい症状ですが、貴方はどうですか?」と尋ねてみた。「感じることば感じるんですが・‥・」といやに歯切れが悪い。彼もまた感覚閥値のレベルであって、被害症状のレベルではなかったのである。
 翌1976年1月、空き家になった被害現場(被害者の居間)を測定した。この例も偶然同じ16ヘルツで、65デシベルの卓越周波数(ピーク)を示した。では休業中はどうかと日曜出勤して測定すると、16ヘルツ、46デシベルでピークは認められない。操業時と休業時との差は20デシベルに近く、この16ヘルツの測定値は被害者の症状の現実をそのまま表現していた。これで被害は完全に証明できたと私は確信したが、実は必ずしもそうではなかった。(第2図)


 その後大阪府が測定してやはり16ヘルツ、67〜68デシベルということであった。私の測定はまだ新米で十分自信がなかったので、16ヘルツで間違いないと分かったのは有り難かったが、「この位のデシベルでは身体被害は考えられない」と言われたという。この明白に操業と連動する身体被害をどう考えたのか、もちろん日曜出勤もない。不思議でならなかったが、家の買い取りで問題は解決して終わりとなった。
 実はこの当時、私は感覚閥値の存在など知らなかった。しかし、大阪府の技師さんは先刻ご承知であったようだ。低周波音については私より先輩のようだが、彼には被害症状に対する配慮も、日曜出勤も必要ない。ただ感覚閥値が絶対であった。


  感覚閾値とは

 低周波音による被害があるというなら、低周波音の各周波数について、一体何デシベル以上なら聞こえる、あるいは感じることができるのかということを理工学系の学者、研究はまず問題にした。第一歩として当然の考え方かもしれない。
そこで実験室で何人もの被験者を使って、各周波数の純音を順次聞かせて、その間こえる、聞こえない、あるいは感じる、感じないの境界のデシベルを求めたのが感覚閥値(最小可聴値)である。
 しかし、そこから先が違った。彼等は、感覚閥値以下なら聞こえず感じないのだから、害は起こり得ないと考えた。余りにも単純、幼稚な考えである。しかし、それではなかなか現実と合致できないためか、30年以上にわたり、いろんな学者、研究者が繰返し繰り返しこの実験を行い、ますます深みにはまって行った。実験のやり方により、被験者の取り方により、そこそこのばらつきはあるものの、本質的には変わりはない。
 ここでは公害等調整委員会の平成15年3月31日付けの「裁定」に採用された感覚閾値を紹介する。(第3図)

 第3図には、1976年の第2図の私の測定以前(1967〜1974年)に、外人名で四つの閥値が、そしてそれ以後(1979〜1983年)に日本人名の五つの閾値が記載されている。他にもまだあるのだろうが、これは最初の感覚闇値で納得できなくて、それならおれがおれがと、再試験、再再試験、追試験と試みた苦心の跡とみられないこともない。しかし、そのどれも現実に適合しない。ダメなものはダメ、良い加減あきらめればと思うのだが、まだあきらめない人たちがいる。そしてなによりもその感覚閾値が尚命脈を保って、災いを低周波音被害者に及ぼし続けているのである。


 感覚閾値の感覚を問う

 4半世紀余り前の低周波音公害の出発点から、感覚閾値はおかしなことばかりである。どうしてそんなものがのさばることになったのか信じられない。
 第2図の明白な被害現場は、私の測定では16ヘルツ、65デシベルである。大阪府の技師さんの測定では、それが67〜68デシベルだったという。それでは16ヘルツに対する感覚閥値は幾らかというと、第3図によれば、少ない数値では80デシベル台前半、多い数値では90デシベル台後半である。いずれにしても第2図の被害者は感覚閥値より20〜30デシベルも小さい値で被害を訴えていることになる。エネルギーにして100〜1000分の1。両者はそもそも別世界の値であって、対比するような値ではない。
 感覚閥値以下は聞こえず感じず、この奥さんの被害など有り得ないなどということこそ有り得ない。現実無視も甚だしい 同じ現場で、奥さんは大被害、ご主人はまあ被害なしとして、感覚閾値はどちらに適用されるものなのか。奥さんは感覚閥値を越え、御主人は感覚閾値以下と、二重構造にでもなっているのか。
 第1図の工場対隣家というのは低周波音公害の基本的パターンである。工場内16ヘルツ、78デシベル、隣家内16ヘルツ、60デシベル以下として、感覚閥値はどちらに適用されるのか。工場内でもコンプレッサー室内92デシベルなら感覚閥値に合格するが、その他の工場内ならまず不合格、まして隣家などとんでもないということになる。
 しかし、低周波音被害は工場労働者には発生しておらず、この小さいデシベルの隣家に発生しているのである。その違いは何か。
 以前から、環境基準は労働基準より10倍(時には100倍)厳しいと言われてきた。
(1)労働者は基本的に健康者であり、健康診断に合格して採用されている。住民は健康とは限らず、病人だって住んでいる。住民検診が宣伝されているが、やらない人の方が多のが現実である。
(2)労働者は基本的に1日8時間労働、あるいは週40〜50時間労働。後は我が家で休養できるし、休日もある。住民は1日24時間、我が家に住んでいるのが基本である。寝たきりの病人や身体不自由者ではなおさら我が家に拘束され在住時間が遥かに長い。
(3)職場環境が自分の健康その他に不適当であれば、退職すれば解決される。しかし、住民はそんなに簡単に住居を変えるわけにはいかない。
 −低周波音公害についてはさらに以下のような相違がみられる。
(4)工場内では普通は相当の騒音を伴っており、低周波音被害が騒音でマスキングされる。工場の隣家では騒音は著明に減衰するが、低周波音の減衰はそれよりはるかに小さいから、相対的に騒音のマスキング効果が少なくなる。
(5)工場労働者は交感神経緊張の労働状況にあるが、住民は副交感神経緊張のリラックスした休養の状況にある。不定愁訴とは交感神経・副交感神経のバランスの狂いとみられるので、低周波音被害ではこの自律神経の緊張度の差が大きく関係するとみられる。

 こうした違いを考えても、工場と隣家の低周波音の影響は天地の違いがある。感覚閾値などというワンパターンで答えが出るはずはない。
 メリヤス公害の場合、奥さんと御主人の被害症状発現の4年間の時差に対し、このワンパターンをどう当てはめようというのか。夫婦ともどうもなかった被害発生前、奥さんだけが苦しかった4年間、その後の夫婦ともに若しかった両者の被害発生後。隣家内の低周波音が大きく変動したとも思えないが、感覚閾値はどれに適用したらよいのか。
 また、奥さんは家に居て苦しくなると、自動車に乗って市内を走り回ると次第に楽になってくるという。試しに私の所有の小型乗用車内で測定すると、走行中16ヘルツ付近の周波数は皆80デシベルに近く、その被害現場(メリヤス工場の隣家居間)より20デシベルほど大きい値である。感覚閾値の逆用を認めてもらわねばならない。
 感覚閾値など、初めから箸にも棒にも掛からない代物であることば分かり切ったことである。それがどうして生き延びているのかさえ不思議なのに、それがのさばって被害者の切り捨ての基準役を務めているなど許せないことである。
 こうして感覚閥値ハラスメント(カンハラ)が続くことになる。


 感覚閾値の総括

 では感覚閥値のどこが間違いなのか。ざっと総括してみよう。
(1)感覚閾値は急性の実験値である。慢性の被害である低周波音症候群に適応するはずはない。低周波音被害者の中には、同じ生活環境の中に生活して、数年後に初めて発病する例も決して少なくない。これを実験室でどう再現できるというのか。
(2)実験は普通正常人を対象にする。それも比較的被害が発生しにくい若い男性が選ばれることが多い。そこでは個人差が無視され、平均値が幅を効かす。いろいろ工夫しても長期間低周波音環境に生活して獲得された鋭敏性を十分評価することば困難である。
(3)そこで鋭敏な被害者自身を対象に感覚閥値を調べようとした研究もあるが、うまくいってはいない。結局その被害者の被害現場より遥かに大きい音圧レベルの感覚閾値しか得られていないようだ。被害現場が純音でないことも関係するのかもしれない。しかし、何よりも被害現場はリラックスした日常生活の場であって、緊張興奮の実験室とは感度に大きな差があっても不思議はない。その緊張を解きほぐすことは不可能に近い。もともと本人の言うことを聞かないのが自律神経系なのである。いくらリラックスしなさいと言い聞かせてもそれはもともと無理である。
(4)低周波音の被害感覚が実験室で瞬時に感得されるかどうかも定かではない。
(5)被害現場と感覚域との非常識ともいうべき大きな音圧差は、到底両者を結び付けられるものではないことを教えている。

 こうした場合潔く感覚域を放棄するのが正しい科学のあり方である。それを未練たらしくじくじくいじっているから、そのとばっちりが被害者に及んでいるのである。

「閾値という意味は音波の存在がわかるということで、苦情と直接結び付く値ではない」
      時田保夫 「低周波音問題の全体像」
         「資源環境対策」Vol.37T心.11(2001)p.1113


  公務員ハラスメント(公ハラ)

 公務員にとっての公害問題の理想像は騒音公害ではないか。
(1)騒音計は安価であり、操作は簡単である。技術者でなくても行政職で十分測定可能である。
(2)被害者自身からの評価はともかく、基準が決められていてそれに当てはめて結論を出せばよく、それ以上被害者にも加害者にも文句は言わさない。
 こうした理想形を役人たちは思い描くようだ。そこで低周波音公害についても、それになぞらえようとする。
 しかし、低周波音公害はそうはいかない。第一に測定機器はそれ程安価ではなく(もっとも大行政にとっては微微たる額だが)、測定操作もいささか複雑で、測定方法も必ずしも確定しておらず、行政職では測定は無理かもしれない。それになによりも基準がないことが厄介である。きっぱりした結論が出せないことになり、解決が後を引きやすい。
 そこで求める(仮想)基準として、感覚閥値が愛用されることになる。それが現実被害に適合しようとしまいと、強引に感覚閥値に当てはめて切り捨てられればきれいさっばりする。幸い被害者も感覚閥値の意味をよく知らないのが普通なので(公務員の方もそうかもしれないが)、被害者も訳が分からず切り捨てられてしまう。文句を言っても感覚閥値以下だと二度と測定してくれず、泣き寝入りさせられてしまう。
 敗戦後、民主国家日本建設が叫ばれて公務員は公僕と呼ばれたことがある。公衆に奉仕する人という意味である。国民、市民が主人公だということらしい。それがいつの間にか死語となり、国民、市民は主人公ではなくなった。建前はともかく、実質において。辞書には官僚的とは「人民の気持ちも考えず、規則や縄張りだけにとらわれる様子」と書いてある。役人根性=「役人にありがちな性質。融通がきかなくて、いばりたがる性質などをいう」とある。ちょっと聞くと言い過ぎのように感じるが、成程と思えてくる。
 低周波音公害はうるさい苦情である。それに対応する公務員の方も一々真面目に対応していては大変であろうことばお察しする。しかし、それが公務員という商売である。いやなら公務員を止めろと言いたいが、では止めますという公務員はまずいない。
 その代わり、できるだけ省エネを考える。低周波音の測定器がありませんので測定できません。測定の経験がないからどこか測定業者に頼んで下さい。夜が苦しいと言われても勤務は午後5時までですから測れません。これらは皆実際の役所の対応である。
 しかし、さすがにそれでは気が引ける。そこで基準があったらなあということになる。そこで感覚閥値に飛びつく。それなら後ろめたさなしにうるさい訴えを切り捨てられる。住民被害者の方も、ちっとも解決されないので、基準があったらよいのになあと、間違った考えをする人が少なくない。そこへ感覚閥値である。なんでこんなに苦しいのがと不審に思いながら、空しく切り捨てられてしまう。
 こうして感覚閾値ハラスメント(カンハラ)は公務員ハラスメント(公ハラ)となってさらに被害者を苦しめる仕組みなっている。

 低周波音被害者が自治体に訴えてやっと測定の運びになったとする。その時是非相手企業に秘密に測定して下さいとお願いしても、聞き入れられることばまずない。企業側と住民側との公平ということであろうか。その相当例では、測定を通知された企業は機械を操作して測定時に大きな音が出ないようにする。それを測定されては何にもならない。
 低周波音症候群(不定愁訴)は医学的には客観的な所見を呈しない。測定数値は唯一の客観的所見である。それをごまかされては被害者に救いはない。あの時には音は小さかった、今度は秘密測定をと願い出ても、もう測定は済んだと容易に腰を上げてくれない。相手企業は、自治体が測定しても何も出なかった。住民の嫌がらせだと言い触らす。
 そうした時、どうみても自治体は企業の味方である。住民の味方で、公害企業を退治するなどという姿勢が見られることばまず有り得ない。それで住民はさらに悔しい思いをさせられる。これもまた公ハラである。

 G特性とISOハラスメント(イソハラ)
 G特性というのは、「1〜20=zの超低周波音の人体感覚を評価するための周波数補正特性で、ISO−7196で規定された。可聴音における聴感補正特性であるA特性に相当するものである」。「1〜20=zの傾斜(補正のこと)は超低周波音領域における感覚閾値の実験結果に基づいている」。
 以上は、「低周波音の測定方法に関するマニュアル」(環境庁大気保全局、平成12年10月)に書かれたG特性の解説である。つまり、超低周波音領域に対する実験室における感覚閥値に過ぎない。何の必要があるのか、一般の感覚閾値が無用の長物であるのに。超低周波音の感覚閾値、さらにその補正値が有用であるはずはない。

 環境庁のマニュアルの「参考資料」には、「ISO−7196では、G特性音圧レベルで約100dBを超えると超低周波音を感じると記されている。G特性の基になった超低周波音の感覚閥値は欧米の実験結果に基づいている」と紹介されている。
 これが火に油を注いだ。騒音はA特性、低周波音はG特性。これでばっちり。おまけに
G特性にはISOという世界的権威のお墨付きまで付いている。多数の自治体がこれに飛び付いた。低周波音はG特性でやる。100デシベル以下(あるいはお負けして90デシベル以下でも同じ)は切り捨て。それ以下の被害は二度と相手にしない。
 その上、マニュアルに合わせて出てきたリオン社の低周波音測定器NA−18AがなんとこのG特性測定にもっとも都合良く作られている。こうしてカンハラはISOハラスメント(イソハラ)につながった。しかもイソハラはカンハラよりもっとひどい切り捨てである、G特性ある限り、まずすべての低周波音被害は安心して切り捨てることができる。

 「低周波音全国状況調査結果報告書」(環境省環境管理局大気生活環境室、平成14年6月)は、このマニュアルに基づき、NA−18Aを全国の有志の自治体に貸与して現場を測定させた1年間の成績である。そのまとめは以下の通りである。

 −生活環境側、心理的・生理的苦情あり、屋内−
「観測されたG特性音圧レベルは超低周波音の閾値とされる100dBを下回った。90dB以上の音圧レベルは、ヘリコプター、新幹線トンネル出口で観測された」。 ヘリコプター、新幹線トンネル出口は低周波音症候群の基本的な音源(連続音)ではない。つまり連続音と見られる音源では90dBを超えるものは1例もなく、80dBを超えるものも例外的でしか存在しない。


 このマニュアルは長年切り捨てられてきた低周波音被害に、遅蒔きながら光を与えようとした環境庁の善意に発するものと信じたい。ところがその冒頭の記述で、G特性などという要らないものをヨイショしてしまったために、G特性に飛びつく自治体を輩出させてしまった。−歩前進二歩後退みたいなことになったのである。
 NA−18Aを作ったリオン社の技術者は、「G特性音圧レベルは超低周波音を対象とする評価量であるため、低周波音全体を評価するためには1Hz〜80Hzの1/3オクターブバンド分析を同時に行うことが不可欠である」−「環境と測定技術」恥.4Vol.29(2002)p.76−と述べているが手遅れである。一旦手抜きを覚えた役人が、自発的にわざわざ面倒な方向に戻るなどとは考えられない。

 環境マネージメントシステム(EMS)の国際規格である「ISO−14001」は、本来利潤を目的とする企業が、自主的に地球環境に配慮した営業行為を行うということで、善意ある良心的な企業とのイメージを与える世間体のよい看板となっている。但し法的拘束力がないことが味噌である。

 低周波音の測定は低周波音症候群の診断の基本であり、低周波音被害認定の必要条件である。この測定を免れれは低周波音被害はなかったことになる。そこで半数とまでは言わないが、相当数の企業が測定妨害を試みる。測定していると知れば機械を停止するとか、稼働を弱めるとかで、大きな低周波音を測定されないように卑劣な行為に出る。そうした中で、一番執拗に、詐欺または犯罪とまで言いたくなるような測定妨害をするのはなんとISO−14001組なのである。看板に偽りありというよりも、看板を傷付けないために偽りの努力をするのである。
 これもイソハラである。世界的といっても、でたらめはでたらめである。21世紀になって、中世の天動説がまかり通っているようなものである。


  終わりに

 9・11同時テロからアフガン戦争、イラク戦争へ、そして新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)の流行に加えるに経済の不振。世の中は暗い。そうなると、分かりにくい低周波音公害の立場も暗くなる。昔のハンセン病や最近のエイズのように、「特殊な人だけがかかり、一般市民には縁のない病気」と偽りの差別を受け、普通の生活をしている者には関係ないように扱われかねない。
 不幸にして自分の生活の場があるレベル以上の低周波音にさらされると、個人差はあるにしても、低周波音症候群(不定愁訴)の被害者が発生する。それもいろいろ便利な機械や装置がどんどん普及して行くにつれ今後ますますそういう低周波音環境が増えると予想される。その中で、低周波音公害の告発を社会や生活の進歩に対する妨害と考える連中が出てきても不思議はない。低周波音被害を訴える者を“文明の敵”と見徹し、低周波音被害者の無視が世の中の進歩に有益だと考えているのではないかと疑いたくなるような無神経な学者・技術者、企業や行政もないとは言えない。
 そうした中で、職場で低周波音被害を言い立てる従業員を変人ないし精神病扱いして差別待遇する企業、地域で一人低周波音の苦しみを訴える者を、大切な地域の企業に対する邪魔者として変人扱いし除け者にする地域など、その被害が皆に理解しがたいばかりに、被害者自身を二重の不幸に陥れている悲しい現状がある。
 そうした中で、低周波音公害の解明を目指したはずの感覚閾値が、低周波音被害者を救うのではなく、さらなる苦しみの中に突き落としている現実を見過ごしてはならない。


※管理人より

※レイアウト等はAcrobat不調のためWEBページ移行したので本文とは異なります。
※冊子からのOCRでの「読み込み時点」で間違いがあったので修正しましたが、文意不明な点などがありましたらご指摘下さい。(2003/10/15)