2003年11月17日
赤谷周防氏の低周波音被害は何故裁判に敗れたか
和歌山市 医師 汐見文隆
低周波音症候群とは
慢性の低周波音被害(低周波音症候群)は、被害者の生活の場(居間・寝室)が長期にわたり、多くの場合連続的な低周波音の侵入を受けて発生する不定愁訴(頭痛、不眠、いらいら、肩凝り、めまい、はきけ、耳鳴り、どうき、胸の圧迫感、疲労感等々)を中心とする身体被害である。その際大部分の被害者は音が聞こえると言うが、普通の騒音が聞こえるのとは異質な脳に響き込むような音などの表現をする人が少なくない。(赤谷氏は不気味な音、あるいは異常音と表現)
被害症状は自律神経失調症に類似し客観的な所見を欠くが、音源が停止するか、音源から十分遠ざかれば症状が消失するので、外因性の自律神経失調症と位置付けられる。
赤谷氏は家の中にいる時、その時々の異常音の強弱を何パーセントとランク付けしている。そのランク付けが、外部にあって環境が変わっても同様に通用するかには疑問があるが、4kmくらい工場(音源)から離れれば完全に聞こえなくなる。
低周波音症候群の特性
騒音はやかましいと表現されるが、低周波音は音が聞こえると訴えられるとしても決してやかましい音ではない。うるさいとも少し違う。戸を閉めればやかましい音は静かになるが、低周波青ば戸を閉めれば却って苦しくなることが多く、閉めたら叱られる。
低周波音では寝られない時、テレビ・ラジオ・CDなどの音の助けを借りて眠りにつく工夫を自然に身につけている人が多い。低周波音は騒音によってマスキングされる。
さらにその特徴は、
@ 個人差が著しい。本件では、周囲に人家が少ないこともあって、明確に被害を訴えているのは赤谷氏一人だけのようである。
A 発病には潜伏期があるのが普通で、同じ環境にあっても、数週間、数ヶ月、数年後に症状が発現する。(アジム電子操業開始1996年4月、赤谷氏発病1999年2月)
B 騒音は慣れるが低周波音症候群は一旦発病するとどんどん鋭敏化する。遂には低周波音過敏症となっていろいろな低周波音源に鋭敏に感知、反応、症状を呈するようになる。
C 騒音に比べて低周波音は遠くに届き、防音壁などで遮音されにくい。
低周波音の測定
不定愁訴の症状は診察や各種の医療検査によっても客観的に証明されないが、生活現場の低周波音の測定によって客観的に診断することが可能となる。しかし、現場の低周波音は正確に測定される場合は少なく、診断されないままに苦しみ続ける被害者が多い。
更に、音は第三者に聞き取りにくいか、あるいはほとんど聞こえない。個人差がひどくて家族の中で一人だけの訴えであったり、症状がわかりにくい不定愁訴であることもあって、しばしば、神経質、感覚異常、精神病などとして扱われることも少なくない。これでは悪いのは音源(工場)ではなく、被害者自身だということにされてしまう。
測定の基本は、被害現場で1/3オクターブバンド周波数分析を実施することである。私の経験では、その測定は10ヘルツ〜40ヘルツの間くらいに、ピーク(卓越周波数)を示し、その値は60デシベル前後、大体55デシベル以上とみるが、長期の被害で過敏症化した人では、静かな夜などでは50デシベル程でも苦痛を訴えるようである。
行政の測定ではしばしば音源(工場など)と被害現場と、両者に事前通知して同時に測定を行うことが多い。しかし、事前に測定計画を知った音源側が、測定時に機械を停止したり、弱い運転に切り替えて、正しい測定を妨害することがしばしば発生する。これでは正しい測定、正しい診断は不可能となる。
そこで秘密測定、つまり音源側に知られないように被害現場を測定することが必要になってくる。その際、音源が稼働しているかどうか、さらにはきつい稼働であるかどうかば測定者には判断できないのが普通であるから、被害者に自分の症状の有無・強弱を教わって、なるべくきついと言う時を測定するようにする。それで被害現場で10ヘルツ〜40ヘルツの間に上記のデシベルのピークが証明されれば診断は確定する。もし工場の終業などで音源が停止することがあれば、身体被害の消失と共に、測定値でそのピークが消失しておれば診断はより確実となる。20デシベル前後の差が認められることが多い。
測定の要諦は、音源側が意図的に操作していない平常通りの操業状況で、被害現場で、なるべく被害がきついと訴える時点を、1/3オクターブバンドレベルで測定する。必要なのは10〜40ヘルツくらいであるが、余裕を持って、またピーク(頂上)を確認するためには裾野があるほうが確認しやすいので、6.3ヘルツ〜80ヘルツくらいをグラフ化することにしている。(因みに、山梨大学工学部山田伸志教授の最小可聴値は8ヘルツ〜63ヘルツの間をグラフ化しておられる。)
さらに原因を追求するためには、予想される音源(工場)に接近して測定する。そこで得られたピークの周波数が被害現場のピークの周波数と一致し、かつ距離減衰に見合うデシベルであれば、原因音源と推定することができる。
赤谷氏の場合
赤谷周防氏 住所 大分県宇佐郡安心院町大字久井田417
年齢 1924年3月生まれ。79歳
終戦後満州国奉天から引き揚げ、1948年から現在地で農業に従事して現在に至る。現在地はやや起伏のある田園地帯で、人家は少ない。
平成3年、安心院町当局は赤谷家から200m程離れた田畑を買収して、まずメッキ工
場(大口電子)を誘致、平成8年4月にアジム電子に変わる。同じ頃これに接してより近くゴム工場(帝都ゴム)が誘致された。
それから3年足らずの平成11年2月初旬頃から、赤谷氏は我が家の中で異常音を知覚するようになり、それは年々増強しており、ようやく寝ついてもその異常音で目が覚め、耳栓が役に立たない。不眠と共に、腹が立ち、いらいらすることもあって、持病の高血圧が悪化して、降圧剤の増量を余儀なくされた。また次第に、首のこり・痛み、めまい、吐き気、頭痛などの不定愁訴を伴うようになった。
赤谷氏は自家により近い、昼間の騒音の激しいゴム工場が原因と考えて、夜間の運転の停止を申し入れたが、土曜日の休業日にも赤谷家室内の異常音が変わらないので、ゴム工場が原因ではなく、他にはアジム電子しか音源が考えられないことになった。
アジム電子も当初は好意的で、工場機械の音源特定に協力の姿勢を示してくれたが、やがて「貴方の言う異常音は当工場には全く関係がない」として打ち切りを申し渡された。特に夜間の操業に対して被害者の苦情が強いのに対し、安価な深夜電力を頼りとするメッキ工場にとっては、経営上到底妥協できないものがあったのであろう。
そこで、大分県の公害対策管理室に相談したところ、法律的な助言を受けた。しかし、公害調停は、被害者と加害者と双方の合意がなければ打ち切られ強制力もないことを教えられて、県の公害調停の空しさを知った。
それならたとえ判決確定まで少々長くかかってもと、訴訟に踏み切ることを決意した。幸い測定、検証などの費用に対し訴訟救助が得られることになり、泥縄式に勉強し、大分県立図書館で、低周波音公害に関してのただ1冊の本、私の著述「低周波公害のはなし」を見つけて借り出した。読書嫌いの妻もこれを−気に読んで、それまでの夫だけの苦しみを初めて理解してくれるようになったと言う。
裁判に踏み切る
本件は、大分地方裁判所中津支部に、平成11年4月5日「平成11年(ワ)第42号損害賠償請求事件」として提訴され、損害賠償と異常音波を出す機械類の運転停止、ないし異常音波発生をなくすことを求めた。費用の理由で、原告側に弁護士はついていない。他方被告アジム電子株式会社はもちろん弁護士をつけている。
鑑定については、最初は原告・被告それぞれが鑑定人を出すことになっていたが、被告側の推薦する中野環境クリニック所長・中野有朋氏が採用された。原告側は費用については訴訟救助が得られることにはなっていたが、人選に手間取り、費用も高額の見込みであったので、結局原告側からは鑑定人を出すことなしに裁判は進行することになった。
その鑑定書の測定値をグラフ化したものを、図2に示す。なんと中野鑑定は1ヘルツ〜20ヘルツ、つまり超低周波音の領域のみであった。つまり広義の低周波音(1〜80ヘルツ)の内、超低周波音を除く狭義の低周波音部分が欠落している。20ヘルツ以上にも被害があるため、現在広義の低周波音をもって低周波音公害を論じている時に、20ヘルツ以下の超低周波音のみの測定で用を済ませるということば容認できることではない。
しかも、中野氏の使用した測定機器(リオン・低周波音レベル計NA−18)は1ヘルツから80ヘルツまでの1/3オクターブ分析画面が同時に描出される測定器である。それを1ヘルツ〜20ヘルツのみ採用し、25ヘルツ〜80ヘルツをなかったことにして切り捨てる意図はさらに理解できない。
そのことを赤谷氏からの書面で知らされて、私はその不当を意見書で指摘したが、裁判所から依頼された鑑定は超低周波音だと不思議な弁明をし、その裁判所は私の意見書の内容にまったく触れようとせずに、翌年4月11日、請求棄却の判決を下した。
こうして右半分欠落の不思議なグラフ・図1が、閥値と共に通用したのである。
勿論原告はこの判決に承服できず、平成12年4月17月福岡高等裁判所に控訴した。しかし、1回だけの審議なしの法廷で終結し、同年9月22日判決言い渡しがあり、控訴は棄却された。
この控訴審の判決は裁判官の無知をさらにさらけ出すものであった。主なものは、
(1)「控訴人以外の者には聞こえないのであるから、本件においては、低周波音は控訴人の被っているという被害原因として問題にされるべきものではないというべきである」
−意味不明。低周波音被害に個人差が著しいことばご存じないのか?
(2)「控訴人が右「音」に悩まされるようになったのは平成11年2月ころからであるが、彼控訴人工場ではその設立以来操業の態様は同一であり、平成11年2月ごろ以降に新しい設備や機械を設置していない」−3年の潜伏期は珍しいことではない。
(3)「鑑定人中野有朋作成の鑑定書によれば、彼控訴人工場における20ヘルツ以下の周波数領域における1/3オクターブ中心周波数毎の音圧レベルがほぼ40ないし50デシベルであったことが認められるが、20ヘルツ以上の低周波音領域にあっても各ヘルツの周波数の音が断絶することなく存在するとすれば、その昔圧レベルもほぼ同様に40ないし50デシベルであろうと考えられ」−そんな無茶苦茶な想像を勝手にされては、どの周波数にピークが出るかと一生懸命測定している者は何をしていることになるのか!
こうして赤谷氏はさらに平成12年10月3日、最高裁判所に上告したが、平成13年2月9日、上告棄却の決定を受けた。
汐見の測定
赤谷氏の法廷闘争は悲しい結末となり、その後赤谷氏は著述によってその不当を世間に問うことを意図して闘争を止めようとしない。
私がこの間題を知ったのは、提訴後間もなく、赤谷氏から平成11年5月13日付けのお手紙をいただいたのが発端で、その後何回もの文通と、準備書面・鑑定書・判決などのコピーの送付を受けた。また鑑定書の不当性については2回意見書を提出してもらった。
こうした経緯により赤谷氏が低周波音被害者であることをほぼ確信していたが、それを証明する被害現場(自宅の室内)での十分な低周波音測定値がない以上、あくまで「低周波音症候群の疑い」に留まり、症状や状況のみでは確定診断するわけにはいかなかった。
赤谷氏も正確な測定を計画しなかった訳ではない。係争中、低周波音の測定・鑑定を依頼しようとした業者の見積りは30万円プラスアルファーという高額であった。
また敗訴後、町を通じて大分県庁に測定をお願いしたが「新しい測定器に更新していないので正確に測定ができないりと断られ、業者の30万円も無理だとあきらめたという。但し、測定業者の測定が正確で有用であった例はむしろ少ないのが現実である。
今回機会を得て、平成15年11月8日(土)夜から9日(日)にかけ、現地を測定することができた。ゴム工場(帝都ゴム)が確実に操業していない時間帯を選んだ。
現地は初訪問、赤谷氏とは初対面であった。
私の事前の予想では、中野氏の測定は20ヘルツ以下に限定され、そこには認めるべきピークが存在しないので、恐らく25ヘルツか、31.5ヘルツ当りにピークが証明され
るのではないかと考えていた。
測定結果は図2のグラフの通りである。アジム電子正門前では4回、その前後の赤谷宅2階居間では各3回の測定値を算術平均した数値である。
予想に反して25ヘルツ、31.5ヘルツは勿論、12.5ヘルツ以上の周波数にはピークは認められず、10ヘルツにピークがあり、赤谷宅では約54デシベル、これがアジム電子正門前では59.5デシベルで、いずれもその前後の周波数から突出していた。
現場の約54デシベルはやや物足りない数値ではあるが、静かな農村地帯であり、被害者が赤谷氏一人に限定されており、3年近い潜伏期の長さからも、小さい値であろうことば予想していた。小さ過ぎてうまく測定できないのではないかとさえ懸念していたが、そんなこともなく、低周波音被害を肯定する測定値が得られた。
そこで一つの疑問が生じる。平成11年9月20日の中野鑑定で何故この10ヘルツのピークが、昼間も夜間も存在しなかったのかということである。私の測定は秘密測定の原則を貫き得たと考えているが、中野鑑定はアジム電子側の依頼に端を発し、中野氏の測定時にはアジム電子の職員2名が同行して赤谷宅を訪れたということであるから、秘密測定であったはずはない。
平成12年4月11日の判決では、アジム電子は「平成11年2月から新設備を導入したことばない。24時間全く同一の操業をし、作業量の増減もしていない」と記述されている。赤谷氏の被害主張が今日まで一貫していることから、鑑定後も同様の操業が継続していたと考えられる。図1と図2との相違は、中野測定時には少なくも10ヘルツを出す機械を停止または減弱させていたと考えなければ説明が付かない。