2004年2月12日

河野通秀・睦子氏の低周波音被害について改めて考察する

(深川市における低周波音被害責任裁定申請事件)


和歌山市  医師  汐見文隆

平成14年(セ)第1号 低周波音被害貴任裁定申請事件
 申請人 河野通秀・睦子の低周波音被害について改めて考察する
(平成15年12月15日 申請人代理人 弁護士 鍛冶利秀・準備書面に因んで)

T はじめに

 本件被害解明の原点は、発生時の状況の詳しい把握、及び音源と推定される冷凍機屋外機の可能なかぎり“ありのまま”での稼働状況の測定にある。その測定は、彼申請人・生活協同組合コープさっぽろ深川店(以下コープ)の信じがたい妨害行動により困難を極めたが、25ヘルツにピーク(卓越周波数)を持つことが明らかになった。

 私のこれまでの経験では、低周波音被害(低周波音症候群)は、ほぼ10ヘルツ〜40ヘルツにピークを示しており、25ヘルツはそのほぼ中央の周波数であり、本件が典型的な低周波音被害であることは疑いの余地がない。

 このような分かり易い典型例が、何故かくも混乱を招き、紛糾せねばならないのか。

U 被害状況

 平成12年3月10日、コープ改装オープン時、それまで店舗屋内(西北端)にあった旧冷凍機に代わって、東部北寄り屋外に、冷凍機大型4台、小型4台が新設された。この位置はまさにその東側約30メートルに70年近く居住している河野宅に直面しており、あたかも空気振動を直撃させるごとき設計位置であった。それまで23年間なんら問題なく平穏にコープと共存していた河野家に大きな不幸が襲うことになった。

 被害はまず河野通秀氏に始まった。改装オープンから3週間程した平成12年3月30日の夜中に冷凍機の稼働音に気付いたことに始まり、さらに4月3日には睡眠中どうきで目を覚まし、寝床を隣室に移した。それ以後自室で寝ることが困難となり、それを契機に不眠、どうき以外、イライラ、首・肩の凝り、耳・鼻・のどの違和感、咳、疾などに悩まされるようになった。これらの症状は次第に増強して、1か月もすると、頭痛、腰痛、めまい、手足のしびれなどの症状が加わった。

 河野睦子さんはそれより少し遅れて、改装オープンから約3か月たった同年6月頃からふらつき始め、やがて不眠、耳鳴り、のど痛、疾がつまる、手のしびれ腰痛、頭痛、イライラなどの症状に苦しむようになった。

 この二人の訴えは低周波音被害(低周波昔症候群)に典型的な多様な不定愁訴である。 音源機械は、強弱の違いはあっても、24時間、連日休止することなく継続運転されていることもあって、上記のような症状群は次第に増悪し、睡眠を中心に我が家で生活することが困難となった。そこでなるべく外出、買物、友人宅訪問などをするようにして、我が家における被害を避けることに努めたが、我が家での睡眠が困難となり、同年7月中頃から次第に友人、知人宅に泊まり歩くようになった。同年9月頃からは自宅での生活を諦め、他にアパートを借りてそこで生活することにして、やっと安眠を得るとともに、その他の諸症状も次第に改善して行った。

 通秀氏は仕事の関係上、倉庫兼事務所である我が家に出入りせざるを得ないため、なるべく短時間に用件を済ませるようにして我が家にいる時間を少なくしていたが、それでも我が家に居ると被害症状に襲われている。睦子さんは、我が家を恐れて近付こうとしないが、それでも季節の変わり目に衣替えの衣類などを取りに行くと、ごく短時間でも苦痛に襲われるという状況である。アパートの避難生活は今日尚終結の見込みはない。


以上の被害状況は低周波音被害に典型的なものである。
(1)騒音は分かり易く被害は比較的早期に出現してよいが、低周波音被害は潜伏期とも いうべき期間があって遅発性である。通秀氏は3週間、睦子氏は3か月の潜伏期であるが、被害者によっては数年後に発病することも稀ではない。
(2)騒音はやかましいを中心に、積られない、いらいらする程度の被害であるが、低周波音被害は多様な不定愁訴被害が中心となる。
(3)騒音被害は慣れる(軽減)が、低周波音被害は増悪(鋭敏化)する。次にコープとの関連性は常識的にも明らかである。

(1)23年間どうもなかったものが、改装オープンを契機として発症に至っている。
(2)低周波音源である複数の冷凍機屋外機が河野宅に直面して稼働するようになった。
(3)コープに近い我が家から遠ざかれば症状は取れる。遂にコープから離れたアパート住まいをすることによって、ようやく被害から逃れることができた。しかし、我が家に戻ればてき面に被害は現れてくる。

V被害現場の測定

 低周波音症候群は、基本的に被害者の「生活の場における慢性の被害」である。従って測定すべき場所は、被害者がもっとも長時間存在している場所、即ち居間・寝室である。

 被害者によっては、便所や風呂場がきついからそこを測定してほしいと希望されることがしばしばある。そのような狭い場所の音圧が大きいことば理解できるが、被害者がそこに存在する時間の長さにおいて、わざわざそこを測定する大きな意味はない。

 河野家において、測定すべき場所は2階であると判断し、河野氏にもその線で測定していただいた。たとえ1階の作業室のほうが低周波音がきついとしても、主たる生活の場は2階であり、特に睦子さんについては1階の作業室はほとんど関係ない。通秀氏の寝室は3階、睦子さんの寝室は2階ということであったが、両名を通じての生活の場として一つを選ぶとすれば、2階を測定の中心にすることが妥当であると考えた。


 低周波音症候群は不定愁訴であり、医療の場における診察や諸検査で異常が証明されないことは、類似した自律神経失調症と同様である。しかし、低周波音症候群は、少なくとも症状の明白な時には、被害現場で低周波音が測定される。それは10ヘルツ〜40ヘルツにおいて60デシベル前後(鋭敏化すれば55デシベル前後でも被害が出る)のピークを示す。つまり、客観的なデータを持っている。

 このことは低周波音症候群の確定診断に有利な条件であるが、しかし、逆に、その測定値が得られなければ、確定診断が不可能であるという困難を伴い、いかに典型的な症状であっても、「低周波音症候群の疑い」という疑い病名に終始せざるを得ない。

 医療の場においては、CTやMRIなど極めて高度の検査が導入され、専門技師によってそのデータが主治医に提供されるシステムになっている。それに対して、低周波音の測定は一般医療の場に導入されていない。その一つの理由は、CTやMRIなどは、その精密機械が医療機関の中に設置されており、それに検査技師がついている。そして患者がそこに赴くことになるが、低周波音の場合には測定者が被害現場に赴かなければならない。そのため低周波音測定というそれ程高次な技術とも思えない測定が、医療の守備範囲外に置かれている。診療の場には通常その測定データは提供されない。

 低周波音の測定者は、一般には苦情を受けた行政、それで不十分なら環境計量士ということになり、さらには音響関係の専門家にお願いするということにもなろうが、そのいずれにしても、その測定者たちの弱点は被害現実をなかなか理解しないということである。医療の場での往診は医師が赴くことが原則であるが、低周波音の測定では人体被害には本来素人の理学系の技師が赴くことにおいて、望ましいデータが得られないということがしばしばである。客観的所見をもたない不定愁訴や多くの精神科疾患の対応には“理解してくれる人が一番”なのである。


 ある音源から発生している低周波音被害であれば、その音源が停止すれば被害は消失する。また音源から十分遠ざかれば被害はやがて消失する。低周波音症候群を「外因性自律神経失調症」と位置付ける所以である。

 低周波音被害はしばしば工場操業において近隣住民に発生する。その場合、工場の操業時間がきまっておれば、操業時間中に被害があり、被害者宅に低周波音のピークが証明される。操業時間が終了すれば、被害は消失し、同時に低周波音のピークもまた消失する。両者のピーク値の差は実に20デシベル前後であり、その工場に由来する低周波音症候群であるという診断は確定する。

 しかし、24時間操業、年中無休といった工場ではこの手は使えない。本件も、複数の冷凍機屋外機が連係しながら連続稼働するため、全体としては強弱があっても、24時間稼働・年中無休の形となるので、上述の時間差利用の簡明な証明はできないことになる。

 その時は、被害は現場を立ち去ればやがて消失するという地理的な差を利用する。本件ではアパートで生活することによって症状が改善されているので、このアパートの測定との対比が有用になるが、信頼度は時間差による証明に劣ることはやむを得ない。


 図1は、河野氏自宅2階における被害を強く感じる時についての最初の測定グラフと、アパートの室内の測定グラフとである。瞬時値の想定外の誤差を小さくするため、いずれも連続しての3回の測定の算術平均値である。

 河野氏自宅2階では、25ヘルツに60デシベル超の明確なピークを認めるが、アパートでは勿論このピークは存在しない。25ヘルツについては、約20デシベルの差が認められる。これにより河野家の被害は25ヘルツの低周波音による被害であることはほぼ確定された。

 その原因音源は、その歴史的経緯とこの地理的な相違により、主としてコープの、とくに改装とともに移転・強化された冷凍機屋外機群にあることは疑いの余地はない。

 しかし、停止しない連続運転にあっては、この地理的相違による証明は、時間的相違による証明より、証明力が一段弱いことは否めない。

 そこで河野氏は、この25ヘルツのピークの存在を数日間確認した後、戸外に出て音源機械への接近測定を試みた。機械前8メートル、ブロック塀裏側(河野家側)である。その測定グラフを図2に示す。運転時と運転停止時とで、25ヘルツで約15デシベルの差である。測定開始後間もなく冷凍機屋外機の運転がほとんど停止された。そのすぐ近く(屋外)で測定中の河野氏本人にはそのことが明らかに認識された。ブロック塀の陰であったにもかかわらず、測定していることが見付かったということであろう。

 運転停止後にもなお若干25ヘルツのピークが残存するが、この運転時のピークの周波数の一致により、河野宅2階の大きな25ヘルツのピークが目前の冷凍機屋外機に由来することがより明らかになった。


 以上の測定は、その被害経過と共に、コープによる低周波音被害を明白に証明し、これに矛盾する点は全く存在しない。既に2年半近く前に、正解は早々に出ている。それを何故、河野母子の苦悩に目を背け、今日まで解答を引きずらねばならなかったのか???


W 秘密測定と測定妨害

 図1において、私が平成13年9月21日夕にアパートを測定し、代わって翌日夕方に河野氏が測定に成功して、25ヘルツのピークを証明することができた、測定者交替の経緯は何か。また3回連続の測定を原則としながら。図2においては1回測定で済ませているのは何故か。そこにこの間題解明を妨げる不当な困難が存在していた。(後述)

 A 北海道環境保全課の測定

 河野氏の陳情に対応して、平成13年2月22日及び3月8日、北海道環境保全課が測定した。この2回の測定において、コープの施設近傍正面の測定では、25ヘルツと50ヘルツとにピークが示された。測定は80ヘルツまでで100ヘルツは測定されていないが、周波数分析値の流れから、100ヘルツにピークがあるとは考えがたい。これに図2の、同年9月29日の河野測定を重ねてみたのが図3である。この河野測定では50ヘルツの存在を否定はできないが、ピークというほど明白なものではない。

 ところで、この道庁の測定では、図4(2月22日)、図5(3月8日)の如く、この25ヘルツと50ヘルツのピークは、30メートル弱離れた河野宅室内には全く現れていない。これは私の常識の理解を越えており、不審を抱いた。特に3月8日の測定においては、図5のように、河野宅2階において、音源機械の稼動中と停止中と両者を測定しているが、有意の差が証明されていないことは、被害の完全否定に等しく、理解に苦しむところであった。

 まずこの測定は、両者に事前に通知して行われている。それは行政が測定を行う場合の常道であるが、その際、音源側が故意に音源機械の稼働を停止ないし減弱して測定を迎えることは決して稀ではない。そのような低減された測定値が得られては、逆に被害を否定することになる恐れがある。

 かつて東北のある県で、頼みに頼んでやっと測定してくれることになったが、その測定当日は、朝から静寂そのものであった。当然その測定は「有意の低周波音なし」の結論である。そこで、その日は操業していなかったからと再測定をお願いしたら、「もう測定は実施した」と一蹴された。泣くに泣けない残酷な行政の有り様であった。

 これは特別としても、図3の50ヘルツのピークについては、意図的にピークを分散したのではないかという疑念は捨て得ないが、それよりも河野宅にこれらのピークが現れないのは納得できない。といっても、河野毛内の測定時だけ密かに音源を停止したとするのはあまりに作為的過ぎる。この解釈に困惑した。

 これについては、地図上の河野氏の書き込みから、巨大な雪山が河野宅の前に積まれており、空気を含む雪山の遮音力の強さの影響と解釈できた。2月22日は高さ3.8メートルくらい、厚さ5〜6メートル、3月8日は高さ5メートル、厚さ7〜8メートルというのは、和歌山県民の理解を超える。
 その後の諸家の測定をみれば、北海道の河野宅の壁には、暖地に住む者の予想以上に遮音力があり、それも加勢していたのであろうか。

 以上、事前通知による故意操作説、雪山説のいずれか、あるいは両者の合作であるとしても、図1に見る細く河野宅2階にかくも明確な25ヘルツが存在し得る以上、道庁の測定は完全な失敗測定であることは明らかであるが、当時これが唯一の、そして−応権威ある機関の測定ということであれば、このように典型的とも思われる低周波音被害例すら、その存在を否定される恐れが多分にあった。

 それはともかく、河野宅内には格別の低周波音なしというのが道庁の測定結果である。それでは改装オープン後の河野母子の苦悩と逃亡とを説明するものは何か。狂気の仕業としない限り、納得できる理由はないことになる。測定マニュアルになくとも、この雪山は当然プルトザーなどで除去して後測定すべきであった。こんな測定を提示して、その結果として被害を否定することは、河野母子の哀れな被害に対してあまりにも冷酷無残である。遠隔に住む私には歯がゆい限りであった。


 平成13年4月12日、河野通秀・睦子両名は「冷蔵冷凍屋外機(大4台、小4台)の移設」を求めて北海道公害審査会に「調停申請書」を提出、「平成13年(調)第2号事件(低周波音彼善事件)」として受理され調停期日として、平成13年6月29日が決定した。この期に及んでもこの道庁の測定データしかないということは、絶望的でさえあった。

  B 「騒音被害者の会」の支援測定

 その時支援していただいたのは、東京の「騒音被害者の会」代表・田中幸子さん(現・NPO・住環境の騒音・振動・低周波音を考える会・代表)であった。田中さん自身は、私と違って鋭敏な低周波音被害者でもある。

 そこで田中さんはやはり低周波音被害に鋭敏な協力者と共に、急追6月23日(土)夕方から翌朝にかけ現地に馳せ参じて測定してくれることになった。その時、決定的な測定を捉え損ねる痛恨の事態が発生した。

 田中さんたち二人は、現場に到着するなり、自分たちの体感で、きつい低周波音の存在を強く認識した。立ち会う河野氏の認識も同様であった。田中さんは到着時、圧迫感があって苦しく、耳鳴り、めまい、吐き気を覚え、低周波音の存在を確信したという。

 そこで河野氏からいろいろ話を聞き、また3階の窓を開けて、コープの方を眺めながら説明を聞いたりしていた。ところが、そのきつい低周波音感覚が徐々に減弱し始めたことに気がついた。あわてて測定器をセットして測定に入ったが、そのなにがしかの時間の遅れが、決定打を逃すことになった。

 その最初の2回の測定の平均は塾旦のごとく、25ヘルツは55デシベルと、一般に被害を主張できるぎりぎりの数値であり、河野例のように複数の比較的早期の強い被害事例に対しては物足りない数値である。また測定者自身も現場到着時より弱くなっている状況を自覚しての測定値であった。
  なお、図6において、50ヘルツには僅かなピークの気配はあるが、後に問題になった100ヘルツは平均16デシベル、その気配は全くない。

 その後現場の低周波音は急速に低下して、やがて鋭敏な測定者にも全く感知できないものになった。図7に深夜までの2回ずつの測定平均値の経過を図示する。

 河野氏によれば、この低周波音問題が浮上してから、コープは低周波音の測定に対して異常なまでに警戒するようになり、始終出入りする河野氏を除いて、見知らぬ人が来訪した時には、音源を減弱、停止しているということであった。田中さんたちの来訪に対しても、直ちにではなかったけれども、やがてどうもあやしいと察して音源の減弱、停止をしたものとみられる。それは深夜に及んでも復活することなく、翌朝2人が辞去して2〜3時間後、低周波音が平常通りの強さで復活したことが、河野氏により感知された。

  C 私の測定行

 このような歯ぎしりするような状況であったが、そこにある偶然の機会が訪れた。

 たまたま全国保険医団体連合会主催の第16回保団連医療研究集会が、北海道保険医協会を主務として、平成13年9月22日〜23日、札幌市で開催されることになり、私は「低周波音公害をめぐる諸問題」という演題を申し込み、できれば最近増加の傾向にあるスーパーの低周波音問題も取り上げたいと考えていた。田中さんらの測定がほとんど空振りに終わったため、予定を1日早めて北海道に飛び、現地を測定することにした。

 9月21日、打合せ通り旭川空港で落ち合うなり、河野氏は「今朝から弱い」と言う。ともかく予定通り、まずアパートに行き、その室内を測定した。問題周波数はすべて45デシベル以下であり、ここには低周波音の問題は存在しない。(図1、図8

 次いで午後5時過ぎ、河野宅に到着、やはり微弱であった。16ヘルツで僅かに50デシベルを超えただけで、被害を裏付けるものはない。(図8)

 翌朝再び河野宅を訪れて測定したが、微弱であることに変わりはなかった。そのまま私は鉄道で札幌に去り、その日の夕方になってようやく強い稼働が復活した。

 田中さんの経験から、このような測定妨害はある程度予想しなかったわけではなかったが、これ程長時間減弱が可能とは予想以上のものがあった。

 しかし、私は最悪の場合の対応を考えていた。河野氏なら警戒されない。幸い河野氏は「管工事業者」であって、機械や電気については素人の私より熟練しているので、測定器の操作も容易に理解してもらえる。私は測定器を残して河野宅を去った

 その夕方、音源が稼働し、河野氏の測定が成功した。25ヘルツ、約62デシベルで、やっと待望の答えが得られた。(図1)この成果は電話とファックスにより、翌23日午前の私の研究集会報告に加えることができた。滑り込みセーフであった。

 あたかも私の行動を予知したかの細く、これだけぴったりと、そして長時間、音源の稼働を減弱・低下させたものは何か。到底偶然とは考えられない。これはコープ側に是非御教示いただきたいところである。ヒントとしては、河野氏と飛行機の到着時間などを事前に電話で打合せていた時、河野氏が「最近どうも電話が“盗聴”されている気がする」との言葉があったことである。

 私が測定器を河野氏に托した時、一応の原則として、2階を測定の中心とすることと共に、誤差を避けるため連続して3回測定してその数値を算術平均してグラフ化することを申し合わせた。ところが、音源をより確認するため、外に出てコープに接近して測定を始めたところ、ブロック塀裏側(コープと反対側)であったにかかわらず、一回測定した時点で音源が急停止した。その後停止状況を3回測定した申;、慌ててしまったたためか、初めの2回は数値の記録を忘れ、3回目のみの数値となってしまった。(図2)

 また別の日の夕方から夜にかけて暗いのを辛抱して2階で測定していたが、午後9時過ぎ室内を点灯したところ、間もなく25ヘルツが40デシベル台に急降下したという。

 いずれも偶然とするにはあまりにピックリした変化であり、コープの異様なまでの警戒と測定妨害を物語るものであろう。

  D INC測定

 本件は国の行政機関である公害等調整委貝会の責任裁定に委ねられることになった。

 平成14年(セ)第1号 低周波音被害責任裁定申請事件である。

 その公害等調整委員会の委嘱による測定専門業者「株式会社アイ・エヌ・シー・エンジニアリング」(以下INC)の測定は、平成14年8月26日、27日に行われた。

 その際、音源近くでは、特に著明な100ヘルツの存在があり、それは80デシベルという轟音に近い数値であった。それはさすがに河野宅2階でも測定されている。(図9

 こんな100ヘルツなど、それまでの河野測定にはなかったものであり、騒音の激しい工場ならともかく、住宅地の商業施設コープとしては考えられない異様な騒音機械を設備しているということになる。この測定に当った音響の専門家も、当時立ち会った公害等調整委員会の加藤委員長、田辺委員、堺委員も変に思わなかったのであろうか。もし思わなかったとすれば、その無神経さは公害問題に関与する資格に疑問を抱かせるものがある。

 先に行政の測定についての、被害者と音源側との同時通知にはしばしば問題があることを述べた。測定を知った際の音源側の秘匿行為である。これを許しては測定が無意味、しばしば逆効果になることは、素人でも理解するところである。刑事事件で言えば、賭博の現場に踏み込むとき、事前に通知すればどうなるかば誰にも明白である。

 それは専門家なら更に理解していることであろう。1例を挙げよう。

 大分地方裁判所中津支部一平成11年(ワ)第42号損害賠償請求事件は低周波音公害を主題とする裁判であったが、当初原告と被告(工場)との両者から計測業者を依頼することになっていた。しかし、大分県在住の1農民である原告にはその心当りがない。

 そこで大分県から紹介された日本騒音防止協会に尋ねたところ、事務局長の返事では、「24時間測定では30万円ぐらい(旅費、宿泊代、計測器等の運搬費は別)であるが、相手が妨害目的で−部機械の運転を止めるなど平常操業をしない時は満足な測定はできないから、測定日は知られないようにする必要がある」とのことであった。測定日を知られては、おかねがいくらかかるか分からないという恐怖である。

 秘密測定は当然専門家の常識であろう。その専門家が秘密測定に無頓着とすれば、それは利敵行為に等しい。

 河野例ではどうであったか。

 INC測定では秘密測定どころの話ではない。早い時点で測定日が決定され、さらにその事前調査が行われた後の8月26日、27日の測定である。秘密どころか、鳴り物入りの測定である。これに対して測定専門家はなんとも思わないのか。さらに、公害等調整委員会はこの国における期待される公害問題の行政機関であるのに、その無知、無理解は信じられないものがある。その存在の意味を問いたい。

 既に述べた通りコープの異様なまでの秘匿行為を申請人は身に染みている。厳密な秘密測定以外に正解を得る方法はないはずである。

 こういう場合はまず被害現場の秘密測定を行い、それに成功した後に改めて音源現場の調査・測定に入るという二段階の測定行動を取らざるを得ない。それをばらしては元も子もないことになる。

 そしてその秘密測定については、基本的に測定者には低周波音被害そのものが理解できるとは限らないので(私もほとんどのケースでいまだに分からない)、被害者の被害感知の程度を尋ね、きついという時のデータを採用し、きつくないという時は基本的に採用しないようにすることが肝要である。

 INC測定の場合、測定時の河野氏の自覚状況の聞き取りは行われたが、それは測定値に対する参考意見の聴取といった姿勢であって、その自覚状況を主体に判断するという姿勢ではなかった。主客転倒である。即ち、河野氏が”いつものきつさ”と判断する状況はINC測定の間、遂に現れることはなかった。それだけでもINC測定は失格である。


 実際どういうことになったのか。測定の8月26日、27日に対し、8月20日頃から測定翌日の8月28日頃まで、連日のように複数の工事業者の出入りがあった。測定前日からは三洋電気産機工業エンジニアリングの山本技術課長もこれに加わった。よほど難しい工事を行っていたのであろう。“ありのまま”どころか、いじくりまわしたのである。

 測定初日の8月26日朝、河野氏が測定前の予備確認で機械室に入ったところ、あまりにも大きな音で、機械室を出た後もしばらく頭がボーッとした。

 8月26日午後11時30分頃(初日の測定終了後)、深夜に異様な運転音を響かせていた。三洋のメーカー3人、業者・生協6人等は、徹夜で機械のお守りをして翌日の測定に備えていたが、本番の翌日13時過ぎには、異常高温になったのであろう。強制除熱のため空冷の機械に水掛けをせざるを得なかったという。現場に立ち会った村頭秀人弁護士の話では、この異常音は何度も鳴っては止まり、鳴っては止まりを繰返していたという。

 後に河野氏が工事業者に聞いたところでは、北電(50ヘルツ)管内での一般的な考えでは、1.5倍(75ヘルツ)迄は上げて運転することはあるが、2倍(100ヘルツ)迄上げることは普通しない。モーターの回転が倍になるため、長時間続けると故障すると言うことであった。もし25ヘルツの機械なら100ヘルツはなおさら無理である。

 邪推すれば、本来25ヘルツ主体であった機械の25ヘルツが問題にされたため、それを分からなくするため50ヘルツ、さらにそれでは不十分と100ヘルツまで上げたのではないか。それで機械が悲鳴をあげ続け、遂に水掛けに至ったのであろう。しかし、これでは操業が長続きしない。測定終了翌日も工事者が残っていじっていたのは、これを元に戻したのではないか.2ケ月後の平成14年10月に河野氏が測定器を入手して測定したところでは、河野宅2階ではちゃんと25ヘルツ、60デシベル余が測定されている。幾分小さくなったかも知れないが。

 INC測定は、大きな手間と費用(税金)を掛けた測定であったが、河野被害解明にはほとんど役に立たず、むしろ低周波音公害に無知な人たちの混乱を招いただけであった。

  E SIT測定

 このような混乱の後、河野氏は抹式会社エス・アイ・テクノロジー(以下SIT)に測定を依頼せざるを得なかった。その測定は、平成15年3月28日午後0時〜午後4時、及び平成15年9月8日午前0時〜午後3時に行われた。

 これについては鍛冶弁護士の準備書面(平成15年12月15日)にも記載されているが、正直に白状すれば、その理工学的な専門部分については専門外の私の理解は十分ではない。ただ、これまで低周波音公害について連続音を主体に考えてきたが、相当変動しつつ連続する場合もありうることを改めて教えられた。

 しかし、[V被害現場の測定]で述べた通り、SIT測定が1階作業場を主測定点に選んだことに対しては、2階が一番妥当であるとの考えは変わらない。

 3月28日午後を下見調査とし、9月8日午前0時以降の深夜を主たる測定時点とされたことは、コープの徹底した被匿行動に対する良識ある対応と評価されるべきであり、測定者・岡田工学博士の労苦を多とするものである。これにより岡田氏は、秘密測定に成功したと判断されたようであるが、果たしてそうであったろうか。

 その測定の中の河野宅2階のデータをグラフ化したものが、図10である。このデータは、これまで頻回に測定して来た河野氏とそれを見続けてきた私には、相当見慣れない姿の部分がある。これをどう考えるべきか。

 INC測定以後も音源機械には何回か工事が行われ 既に被害発生以来3年を経過して周波数測定の原形は相当変質しているのも当然であろう。この優れた測定をもってしてももはや被害発生当初を論ずるには無理があるとせざるを得ない。

 それでも本当に秘密測定であったのであろうか。平成13年9月の私の測定時も、よもやと思うのに察知されていたと考えざるを得なかった。SIT測定時の9月8日の深夜以降についても無通告で測定を行っているので、秘密測定でないはずはないと考えるのも当然であろう。

 しかし、この測定も察知されていたのではないかという疑いを捨てることはできない。私の場合には殆ど停止状況であったが、前年のINC測定の経験を積んで、周波数を多様化・高周波数化して25ヘルツを不明確なものにするという方法を覚えたのではないか。図10は余りにも見慣れない姿である。

 河野氏がこの点に疑念を持ったのには訳がある。そのお便りによれば、SIT測定時、
@ いつものような圧迫感・振動感がなく、稼働は弱いと体感した。
A いつもは使っていない店舗屋上のクーリングタワーがフル運転していた。店全体を冷やして冷凍器の必要性を小さくするための対策であろうか。
B 深夜測定後の9月8日早朝(午前5時頃)、店舗西側に車が停車しており、中に見張人がいることが分かった。岡田氏と測定でその場に行くと10分程でいなくなった。
E さらに河野氏は、SIT測定以後の経過を追跡したところ、9月12日までは50ヘルツが突出し25ヘルツは弱かったが、9月13日頃から25ヘルツが出没しはじめ、9月19日からはほぼ完全に25ヘルツ運転に戻り、50ヘルツは消失していた。やはり機械の保守、維持の上では25ヘルツ運転が妥当で、50ヘルツ運転は居心地が悪いのであろう。10日程で警戒警報解除ということか。

 深夜忍び込んでのSIT測定が察知されていたとすれば、この神業のような能力はどのような手段によるのであろうか。是非御教示願いたいものである。今後の参考にしたい。

 またそれ以後の25ヘルツについてみると、被害発生当初よりデシベルが随分小さくなり、更に上下動が著しくなっているのは、度重なる手入れの成果であったかも知れない。仮に最初からこの数値であったら、ひょっとして被害は発生していなかったのではという可能性も否定することはできない。しかし、後の祭り。完全に鋭敏化した後では、河野母子が現場に行けば、被害を被るだけである。

 こうしてSIT測定も、被害を理解した岡田氏の慎重且つ良心的な測定努力にもかかわらず、被害発生時の状況を明らかにすることはできなかった。そうなると結局、専門家の目から見れば不十分であろうとも、初期の私どもの測定、解析が中心になると確信する。


  X おわりに

 私たち一般市民には、原因について捜索する権利もなければ尋問する資格もない。被害者の側から、ただひたすら観察し計測し推理するだけである。それがこれまでの延々たる記述となった。その判断のすべてを正しいとまで主張する勇気はないが、これらの積み重ねから当然見えてくるものがあるはずである。

 普通の人間の行為としては信じられないような相手の執拗な秘匿、欺瞞、妨害である。こちらに被害を与えていることを認めないだけでなく、ここまで隠そうとするのか。これは最早“犯罪”であるとさえ私は考える。人間の良心、企業の良心はどこにあるのか。

 改装オープン時の自らのミスを認め、その時点、多少出費がかさもうとも冷凍機室外機を移転しておれば、さすが生活協同組合だ、コープだとなって、八方めでたしで解決していただろうに残念である。

 しかも河野氏の指摘では冷凍機屋外機の設置工事についてのメーカーの注意事項の多くが守られていないという。分かりやすい例を挙げれば、基礎工事もなく鉄骨架台の上に設置している。これでは騒音や低周波音が増強して当然である。そうしたミスは、例えば航空機なら事故につながって企業が大打撃を受けることになるから、厳重に守られる。しかし、冷凍機屋外機の設置上のミスは、企業にマイナスを及ぼさない。マイナスは隣人に及んだけれども自分は大して痛くもかゆくもない。しかし、隣人がそのマイナスを訴えた時その訴えられたこと自体を自らへのマイナスとしてひたすら防戦し反撃する。

 人間として、企業として、モラルはどこにあるのか。

 平成16年1月31日付けの読売新聞夕刊「よみうり寸評」は、江戸時代、近江商人の「三方よし」を紹介している。「売り手よし」、「買い手よし」、そして「世間よし」。「商人はもうけて喜び、顧客は満足する。それだけでは足りない。世間、つまり社会のためになる。ここに、商人道の神髄がある」「欧米では最近、社会的責任重視の企業経営が広がる。収益だけではなく環境対策や消費者保護、地域貢献など、企業が社会に貢献すれば結局、持続的な成長につながるという考え方だ」。

 環境マネージメントシステム(EMS)の国際規格であるISO−14001は、本来利潤を目的とする企業が自主的に地球環境に配慮した営業行為を行うということである。全国の生協で認証取得の動きがあり、コープさっぽろも、本件トラブル発生約1年後に、この認証を取得していると聞く。生活協同組合と言い、コープと名付け、そしてISO−14001とくれば、どんな良心的な企業かと誰しも思い込んでしまう。

 看板に偽りあり。それともその看板を汚さないために、このような信じられない反社会的努力をしているのか。地球環境には配慮するが、周辺環境に配慮するとは言っていないということになるのか。

 こんな不毛な攻防をお互いにいつまでも続けていてよいのか。河野母子の苦しみと不利益を放置して、既に4年に近い歳月が流れている。


※以下は管理人による追補です。


北海道深川市の低周波音事件で公害調停が成立
 

     深川市における低周波音被害責任裁定申請事件
     (平成14年(セ)第1号事件)

1 事件の概要
 平成14年1月18日、北海道深川市の住民2人から、協同組合を相手方(被申請人)として責任裁定を求める申請があった。
 申請の内容は以下のとおりである。申請人は、被申請人が店舗に設置している空冷式冷凍機から発生する低周波音により、動悸、不眠、めまい等の症状が発生し、心身に異常を来し、また、転居を余儀なくされた。これらを理由として、被申請人に対し、損害賠償として、合計金1,113万円及び平成14年1月1日から自宅における低周波音の測定値が8Hzと40Hzの間で50dBを下回る日まで1か月当たり合計54万5,000円の支払を求めるというものである。

2 事件の処理経過
 公害等調整委員会は、本申請を受け付けた後、直ちに裁定委員会を設け、4回の審問期日を開催し、低周波音に係る音響分野の専門的事項を調査するために必要な専門家1名を専門委員に委嘱したほか、自ら現地に赴いて申請人宅及びその周辺における低周波音を含む騒音の状況を調査し、また低周波音を含む騒音の調査等を専門とする会社に委託してこれら騒音の測定・分析を実施するなど、鋭意手続を進めてきた。この結果、申請人宅周辺は、特に夜間においては大変静穏な場所であること、申請人宅内において、冷凍機の稼働・停止に対応して音圧レベルの変動が見られるのは100Hz帯であることなどの事実が明らかになり、また、審理を重ねるにつれて、それが当事者の共通認識となるに至った。
 このような審理経過を踏まえ、裁定委員会は、平成16年6月30日、本件については、当事者間の合意による解決が相当であると判断し、公害紛争処理法第42条の24第1項の規定により職権で調停に付し(平成16年(調)第2号事件)、裁定委員会が自ら処理することとし、7月7日の第1回調停期日において、調停案を提示したところ、当事者双方はこれを受諾して調停が成立し、同第2項の規定により責任裁定は取り下げられたものとみなされ、本事件は終結した。

3 成立した調停の概要
(1)被申請人は、3分の1オクターブバンド100Hz帯の稼働音対策を目的として、平成16年8月10日までに、被申請人店舗建物外にある冷凍室外機を、コンプレッサ部分については建物内機械室に、コンデンサ部分については同建物屋上クーリングタワー付近に移設・更新する。
(2)申請人らは、本件のその余の請求を放棄する。

http://www.soumu.go.jp/kouchoi/activity/fukagawa.htm

【総務省 公害等調整委員会】


 この事件はあくまで低周波騒音問題から何とか逃げようと、50Hzを25Hzと言う超低周波音に落とし、逃げようとしたが、結局それも敵わず、結局50Hzを100Hzに上げて一般騒音として処理した公害等調整委員会による実にあざとい逃げ方であった。まー、つまるところ直接の被害者としては騒音源が移転すれば問題は解決した事になるのであるから、それはそれでよいのであるが、結局またしても公害等調整委員会は法的規制がない低周波騒音に対する見解を示す事なく”解決”した事になる。 


 その後、河野氏は依然として、25Hzの「音」に悩まされていると聞く。

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