隠された健康障害―低周波音公害の真実 

低周波音被害は騒音被害ではない

2003年4月
医師  汐見 文隆


  はじめに

 平成14年4月に東京地方裁判所で「騒音・振動の防止および損害賠償等請求事件」の民事訴訟の判決があった。提訴以来3年半余の審理の末、曲がりなりにもその損害賠償が認められたのだが、実は被害原因は騒音ではなく低周波音であった。
 騒音という視点だけでみれば、測定されたのは僅かな程度の騒音に過ぎない。それにもかかわらず何故賠償が認められたのか。振動については受忍限度を超えないとされたが、騒音については、常識的には測定された騒音とは余りにも懸け離れたた気の毒な一家の長年の被害が現実に存在し、それを無視できなかったということであろう。
 被害の発生以来判決まで、実に約12年半の歳月があった。こんな長い執拗な騒音被害などありうるのだろうか。それはあるスーパーの業務用冷蔵ケース室外機4台と業務用冷暖房室外機3台による被害の訴えに対する行政の測定に始まり、2つの測定業者の測定を経ながらも、この裁判に関わった、原告・被告・弁護士・裁判官、誰一人として不思議に思わなかったようなのが、それこそ不思議でならない。
 低周波音という意識を持って測定(1/3オクターブバンド周波数分析)を行いさえすれば、単一の卓越周波数(ピーク)が25ヘルツに認められることは一目瞭然であり、それ以外に騒音に該当するようなピークは存在しない。それは、2系統の測定器を使って、私を含めて3名、3回の測定で、全て同じ結果を示していることでも明らかである。
 それが騒音であるという先入感から低周波音に対する測定を怠り、小さな騒音という原因ながら、その大きな被害結果に目をつむることができず、そこから導かれた結果は小さな賠償金という妥協であった。それが裁判の公平ということであろうか。
 被害者家族5人の長年の被害は1日800円と算定された。パート1人1時間の時給並の額である。これを月額に換算すると1ケ月2万4千円となる。東京都内の自動車の賃貸駐車場代は1ケ月2万5千円から3万円くらいと聞けば、一家5人の長年の苦しみが車1台の駐車場代にも及ばないことに驚かざるを得ない。
 これは低周波音被害を騒音被害と取り違えたことによる悲劇という他ない。その悲劇の原因は、騒音被害に対する常識の欠如、低周波音被害に対する認識の欠如である。


  騒音と低周波音との関連

 「音」とは空気中を伝わる波(空気振動)のことをいう。その1秒間の振動数をヘルツ(Hz)という単位で表す。
 一般に人の耳は、20ヘルツから2万ヘルツまでを聞き取ることができるとされおり、20ヘルツ以下の聞こえない音を超低周波音と呼んでいる。しかし、20ヘルツ以下でも十分音庄−デシベル(dB)−が大きければ聞こえる、あるいは感じることができるともされている。
 他方、耳に聞こえる普通の騒音についても、周波数の違いによって聞き取る能力に大きな差がある。もっともよく聞き取るのは2000ヘルツ〜4000ヘルツあたりの周波数とされる。他方、100ヘルツ以下になると急速に感度が低下するので、100ヘルツ以下20ヘルツまでの音を特に低周波音と呼んできた。
 ところが、低い周波数の音による被害(苦情)が20ヘルツに境界を持たず、その前後にわたり訴えられることから、現在我が国では、超低周波音を含めて1ヘルツ〜100ヘルツ(あるいは80ヘルツ)を低周波音と呼んでいる。低周波音とは「周波数が低くて聞こえない、あるいは聞き取りにくい音」のことである。
 現在環境省の意図に対応して低周波音の測定のために作られたリオン社の低周波音レベル計・NA−18Aの1/3オクターブバンド周波数分析機能は1ヘルツ〜80ヘルツとなっている。
 しかし、昭和50年以降私が関与してきた低周波音被害は、個人差はあるものの、その卓越周波数(ピーク)の位置はほぼ10ヘルツ〜40ヘルツの間に限定されて発生している。後述する通り、騒音が低周波音被害をマスキングするという現象があり、50ヘルツで低周波音被害が緩和される症例がみられたことから、50ヘルツ以上は騒音として扱うべきであると言うのが現在の私の判断である。


  騒音被害と低周波音被害とは異なる被害

 こうした一連の周波数の空気振動の中から、10ヘルツ〜40ヘルツだけを被害を与える低周波音として特別扱いしてみても、同じ空気振動の仲間だから似たようなものだろうと誰もがまず考えるわけだが、それは大間違いである。両者の被害は全く相違する。

(1)騒音被害は「やかましい」だが、低周波音被害は表現困難な被害である。

騒音被害は一言で表せば「やかましい」ということである。その被害は「生活妨害」に尽きる。会話が妨げられる、ラジオ・テレビが聞き取りにくい、電話が聞こえない、と言った被害である。ただ、不眠(やかましくて寝られない)というのが身体被害かも知れない。しかし、防音壁、二重サッシ、耳栓などによって割合簡単に解決される。
 これに対し、低周波音被害を一言で表すことば難しい。そのような日本語(恐らく外国語も)は存在しないと思われる。もちろん「やかましい」とは全く違う。「うるさい」とも少し違う。そのため低周波音被害者は、その被害を訴える生活現場では、多くは同時に「音」が聞こえることから、つい使い慣れた「音」を使って自分の被害を表現し、取り返しのつかないことになる例が後を絶たない
 行政に対し「音が聞こえて苦しい」と訴える。行政は騒音計を持って駆けつける。騒音測定は極めて簡単であり、基準もある。ところが、現場を訪れて行政マンはハタと困惑する。音が聞こえない、あるいは極めて小さな音に過ぎない。まあせっかくだからと騒音を測定しても問題にならない数値である。そこでこんな音は大したことばないと判断する。
 ところが、被害者は納得しない。「こんなに苦しいのに大したことばないとは何事か」と怒りをぶつける.あまりうるさく言い立てて、「この人は頭がおかしいのではないか」と判断された被害者も数多い。
 騒音は誰にも分かり易いが、低周波音は多くの人にとって分かりにくい。そこでは初めは騒音を認識する例が多い。しかも、それ程やかましいとは思えないその騒音が、多くは数週間、敷か月、時には数年後に、耐え難い低周波音被害へと変貌する。騒音ば即座に認識できるが、低周波音は被害の認識に時間経過が必要となるのが普通である。つまり、騒音は急性被害であるが、低周波音はその現場に長時間荏任することによって発生する慢性被害である。急性と慢性と、当然両者は異質な被害である。
 測定を目的として訪れた外来者がこの慢性被害を認識できないのはむしろ当然である。その時、測定者が自己の感覚に固執する時、測定は失敗する。現場主義とは、第三者が己の主観を排除して被害者の訴えを受け入れることである。しかし、おれは専門家だ、被害者は素人だという権威意識が、被害の正確な把握を困難にしている。
 低周波音被害は結局不定愁訴と表現される慢性の「身体被害」である。頭痛・いらいら・不眠を三主徴として、頭重・肩その他のこり・どうき・胸の圧迫感・息切れ・めまい・吐き気・食欲不振・胃やおなかの痛み・耳鳴り・耳の圧迫感・目や耳の痛み・腰痛・手や足の痛みやしびれやだるさ・疲労感・微熱・風邪を引いたような感じ・鼻血などなど、何でもありの多様な被害である

 (2)個人差の問題が状況を複雑にする

 騒音は聴力障害者を除けば誰にも分かり易い。「やかましい」はまず誰にも理解してもらえる言葉で、ほぼ被害を言い尽くしている。
 しかし、低周波音は一部の人しか分からないのが通例である。一家の中で被害者が一人だけということも決して稀ではない。そこで、「神経質だからだ」「気にするのがいけないのだ」と、被害者が逆に悪者にされることもしばしばである。ある県の衛生公害研究所長から「感覚異常者」として雑誌に発表された症例さえある。
 誰が鋭敏で、誰が鈍感か。それはその現場に実際に生活してみないと予測はできない。経験的には、中年女性に被害者が多い感じがする。それも、専業主婦ということで、その生活現場に長時間いる人が多いためかも知れない。他方、若い人には割合少ないように思えるが、それでも鋭敏な若い男もいないわけではない。

 (3)騒音は慣れる。低周波音は鋭敏化する

 以前和歌山市内の国道の沿線の民家で低周波音を測定したことがあった。数時間そこに居たら、通過する自動車の騒音がひどいのに改めて驚かされてどうもないかと尋ねたところ、その家の奥さんが、「ここへ越して来た当時はやかましかったが、もう慣れました」と事もなげにいわれたのに驚いた。
 日頃、交通の激しい道路や、信号のうるさい鉄道踏切の沿線に大勢平気で住んでいるのを不思議に思っていたが、そういうことかと納得した。
 騒音については、現在厚木空港が一番問題になっているが、それは米空母の横須賀入港時に、戦闘機のタッチ・アンド・ゴーの夜間離着陸訓練が集中豪雨的に行われ慣れる機会がないこともー因であろう。その他は慣れることによって意外に平気なようである。
 ところが低周波音は、一旦感知し、次第に不定愁訴へと進行して行くと、慣れるどころか、どんどん鋭敏化し、深刻化して行く。そのため、年数を経るほど被害はひどく耐え難いものになる。遂には低周波音過敏症とも言うべき状況が発生し、自分の生まれ育った実家が、低周波音を感じるるようになって尋ねて行けなくなった奥さんさえいる。
 騒音では慣れて平気になっていくが、低周波音は耐えられない被害になっていくというのは、この鋭敏化のためである。我が家を捨てて逃げ出した被害者は数多い。

 (4)低周波音は距離減衰が少なく、隔壁を貫通する力が強い

 低周波音は周波数が少なく波長が長いだけに、距離減衰が少なく遠くまで届く。
 また、騒音は隔壁により反射、吸収され、僅かしか貫通しないが、低周波音は反射・吸収が少なく、よく隔壁を貫通することができる。その上、長い波長を利用して壁を乗り越えるので、防音壁は役に立たない。
 外がやかましければ、窓を閉める。隣室がやかましければドアをぴっちり閉める。それによって騒音は緩和される。ところが低周波音では閉めたらかえって苦しくなる。「閉めたら叱られる」のである。両者が全く逆の被害であることを物語っている。
 隣近所に騒音問題が発生すれば、その対策としては防音壁が真っ先に皆の頭に浮かぶ。しかし、防音壁が低周波音に対してほとんど効果がないことば、防音壁メーカーが一番よく知っているようだ。
 次図はある防音壁メーカーのパンフレットに記載されたデータである。
 Aは多分高速道路の遮音壁、Bは普通の防音壁であろうか。1000ヘルツを取って、Aは40デシベル以上遮音しますと宣伝していた。
 しかし、周波数が低くなると性能は急速に低下し、100ヘルツ以下については検索すらしていない。それを尋ねると、「低周波音は無理、駄目です」との答えであった。
       

 (5)低周波音被害は騒音によりマスキングされる

 低周波音被害者は、普通音によって被害が緩和されることを経験的に知っている。苦しい時、大きい音でラジオやテレビをかける。寝られない時、CDをかけたまま寝る。
 騒音でやかましい時、こんなことをする馬鹿はいない。これは、窓や戸を閉めたら苦しくなることと共に、騒音被害と低周波音被害の訴えを見分ける重要なポイントになる。
 電気冷蔵庫が稼働すると楽になるというので、夜中に寝床を電気冷蔵庫のそばへ引っ張って行った婦人もある。その冷蔵庫の稼働音が50ヘルツであったので、50ヘルツ以上は低周波音ではなく騒音と考えることになった。
 騒音対策として、防音壁、二重サッシ、耳栓が頭に浮かぶが、すべて逆効果である。
 防音壁が無効なことを(4)で述べたが、実は防音壁により低周波音被害はかえって増悪する。それは騒音がより遮断され相対的に低周波音がより優勢になるため、騒音によるマスキング効果が弱められかえって逆効果になると考えられる。
 二重サッシについても同じことが言える。騒音はより遮断され低周波音ははとんど遮音されないから、騒音によるマスキング効果が失われるだけ苦しくなる。CDをかけて寝ていた人がCDを止められたようなものであろうか。
 自動車の通行に関しては騒音のみならず低周波音もそこそこ含まれている。なぜ深刻化せずに慣れる方向へ行くのか。騒音は短時間でも分かり易いが、低周波音は本来感知力が悪いのに個々の音が短時間である上、車種により周波数が異なるので更に分かりにくく、そこへ分かり易い騒音のマスキング効果が働くためであろうか。
 耳栓については、ある低周波音被害者(女性)の興味ある体験談がある。初め耳栓が有効であったが、次第に効果がなくなり、逆に耳栓をしていると音が大きく聞こえるようになった。そこで耳鼻科を訪れ耳栓をしても大きく聞こえないようにして欲しいと頼んだところ、「耳鼻科は聞こえないのを聞こえるようにするところ」と笑われた。
 耳栓有効とは騒音として捉えていた段階、耳栓無効とはそこから低周波音被害への移行期、そして耳栓逆効果とははっきり低周波音被害に移行したことを意味すると理解すれば分かりやすい。

  対策は

 低周波音被害の対策は極めて困難である。騒音については既に述べたように、防音壁、二重サッシ、耳栓など簡単な対策があるが、低周波音についてはすべてマイナスである例外的に、比較的小さな単一の音源の場合などで、音源側の善意によって、案外簡単に解決された例もある。逆に大きな機械装置で、専門家による音源機械に対する対処によって低周波音の低下に成功した例も少なくないことであろう。
 しかし、そうした幸運な例を除いて、特に多くの音源を持つ工場などでは、解決困難な場合が多い。工場の閉鎖によってようやく解決した例もいくつか経験した。但し、低周波音公害のために閉鎖というのはあまり経験していない。多くは経営不振その他の理由によってである。低周波音公害が多少は後押ししたかという程度はあるかもしれない。
 他方、被害者が逃げ出さざるを得なかった例も多数経験している。我が家を買い取ってもらえたのは幸運な方で、涙をのんで移転した人、中には放火?されてか被害現場が焼失して解決した悲惨な例すら聞いている。


  慢性被害再考

 まだ慢性の低周波音被害(低周波音症候群)が理解されていなかった四半世紀以上昔の話である。
 妻がまず不定愁訴(低周波音症候群)に悩まされ始めたが、その不思議な訴えがどうしても夫には理解できなかった。
 その4年後、自分も不定愁訴に襲われて初めて、夫は妻の訴えがこれであったかと理解できた。それ以後夫婦協力して被害対応に努力するようになった。
 この時、夫は「わかったら地獄」と表現した。妻が発病して自分が発病するまでの4年間は極楽であったことになる。それに対し地獄とは救いのない世界を意味していた。
 原因は隣のメリヤス工場であったが、初めは騒音がひどかった。行政に訴えて測定が行われ基準オーバーであることがはっきりした。相手工場も騒音対策を実施したところ、音は確かに小さくなった。しかし、苦しさは軽減するどころか、かえってきつくなって行った。そのことを夫は「それまで音に紛れていた苦しさがはっきりわかるようになった」と表現している。
 そこで再び行政に訴えたが、騒音は基準以下であると退けられ相手工場も真面目に対応してくれなくなった。低周波音に対して対策がないこともあったが、また「これは嫌がらせでは」という気持ちもあったことであろう。
 この段階で私が関与し、2〜3年も経ったであろうか。ふと「音はどうなったのか」という疑問が生じた。というのは、夫婦の訴えの中に、「音がやかましい、うるさい」はもちろん、音が聞こえてどうこうという訴えが全くないのである。ただもろもろの不定愁訴ばかりが訴えられるだけであった。
 そこで後れ馳せながら、「音は聞こえるのですか」と尋ねてみた。「それは聞こえますよ」と、当然と言わんばかりの答えが即座に返ってきた。それは、音が聞こえるということばもはや問題ではないということを意味していた。24時間連続、年中無休の操業下では、音が聞こえるということと不定愁訴とは、解離していたのかもしれない。

 慢性被害の究極はこういう姿を取るのであろう。そこであまり上品ではないが、次のような言葉を紹介してみよう。「目についた女房、鼻につき」。
 人間の五感のうちで視覚はもっとも鋭敏である。急性の感知は視覚がつかさどる。ひとめぼれはその超急性のものであろう。ところが慢性になると、嗅覚という犬などに比べてはるかに鈍い感覚が支配するようになるというもののたとえである。
 聴覚は視覚に次いで鋭敏な感覚である。音(空気振動)の場合、急性期には当然聴覚が主役になる。聞こえるである。しかし、それほどやかましくない低周波昔の場合、非常に慢性に経過するうちに、音には慣れてしまい、それに代わって不定愁訴、つまり自律神経失調症に類似した症状が主役となる。それは聴覚野(大脳)という感覚の領域ではなく、して視床下部(脳幹)の反応ということである。聴覚は主役から端役に転落しているのである。
 慢性被害とはそういうことである。


  頭蓋骨遮音壁説

 以上述べたように、騒音と低周波音とは被害者に非常に異なった影響を及ばしている。同じ空気振動でありながら、時には正反対とも思える反応の仕方すらある。
 これではもはや被害者にとって、同じ方法、同じルートでの感知として理解するのは無理である。全く別な方法、別なルートでの感知と考えなければ理屈が通らない。

  脳は豆腐のように軟らかいと言われる。もし露出しておればすぐ破損するはずである。そこで頑丈な頭蓋骨で被ってこれを保護している。聴覚器も壊れやすい精密装置であるから、頭蓋骨内に安置されている。
 ところがそれでは困ったことになる。頑丈な頭蓋骨は音の貫通を妨げる遮音壁になる。せっかくの音が聴覚器にも聴覚野(大脳)にも届かない。そこで頭蓋骨に外耳道というトンネルを穿ち、耳殻で集昔してトンネルに送り込む。それによって頭蓋骨の遮音作用を免れる仕組みになっている。
 既に述べたように、低周波音は騒音より隔壁を貫通する能力が強い。普通の騒音は駄目でも、低周波音なら頭蓋骨を貫通して直接脳に到達できるのではないか。低周波音の被害の卓越周波数(ピーク)が10ヘルツ〜40ヘルツというのは、その貫通能力を意味しているのではあるまいか。10ヘルツ未満には脳はあまり反応しないらしい。40ヘルツ超は騒音であるから、正規のトンネルから聴覚器一聴神経一聴覚野と伝達される。しかし、40ヘルツ未満限定で、頭蓋骨を直接貫通して脳に到達でるのではないかと考える。その到達先は聴覚野、視床下部に限定されることはなく脳のどこでもよいわけで、聴覚器にも直接到達することであろう。そのトータルの慢性の影響が、音が聞こえるというよりも、自律神経失調症類似の低周波音症候群として、主として視床下郎に現出すると考えれば、騒音被害と低周波音被害の矛盾が説明できるのではないかと考えたい。


  終わりに

 騒音被害と低周波音被害とはこのように異なった被害である。これを混同すれば、そこには悲劇が待っている。
 その悲劇を避けるためには、被害者の訴えに耳を傾けることである。家の中の方が苦しい、閉めたら怒られる、音によって緩和されるなどの不思議な特徴がある。
 不定愁訴という分かりにくい被害については、被害者自身がその被害がどういう時に発現し、そしてどういう時に消失するかをはっきり認識し、そのことを行政や測定者、医師などの第三者に伝える必要がある。
 操業終了で相手の音源が停止するか、自分が被害現場から離れた時に症状が消失するということは、自分の被害症状が内因性のもの(自律神経失調症)ではなく、外因性のもの(低周波音症候群)であることを決定的に教えている。しかも、それは被害者本人にしか分からないことなのである。不定愁訴という客観的所見を欠く訴えを客観化させる唯一の手立てであることを銘記すべきであろう。


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※冊子からのOCRでの「読み込み時点」で間違いがあったので修正しましたが、文意不明な点などがありましたらご指摘下さい。(2003/04/23)