朝日新聞の風力発電記事
「風力発電、近所で頭痛・不眠 環境省、風車の騒音調査」
「風車新設 各地で反対 周辺住民への説明不可欠」
朝日新聞に、@2009年1月18日「風力発電、近所で頭痛・不眠 環境省、風車の騒音調査」、A1月28日「風車新設 各地で反対 周辺住民への説明不可欠」と2回に渡って風車関係の記事が出た。昨年の秋頃から取材をしていると関係者達から聞いていたが、こういった風力発電が抱える問題の全体像を概観し、問題点を浮き上がらせるような記事は全国紙でなくてはなかなか書けるものではない。
@は東京などでは一面に載ったらしく、ネットにも載ったので多くのブログなどにコピペがあり、その日からしばらくネット上をにぎわした。
Aの方が実は本質的な問題なのだが、東京では社会面に載ったようで、さらにネット上には記事として載らず、わずかに関係被害者団体のサイトに載せられただけで、ネット的には内容がほとんど広がらず、非常に残念である。この記事の優れている点は、風車問題に限らず、低周波音問題に関しても、国の本音を引っ張り出した点にあるが、ひいては補助金助成行政の本質的問題点を浮き上がらせた点にある。
被害の現実については既にネットからもっと詳しく知ることができるので割愛するが、
@の記事のポイントは、
「環境省は、豊橋市のケースなどを踏まえて、風車と体調不良の関係をめぐる海外情報の収集を開始。風車の一部で低周波音の測定を始めるなどしているが、大気生活環境室の志々目友博室長は「(低周波音の健康に対する影響は)科学的に未解明で、まだ対策目標値が示せない」と言っている。”
と言う点にあると考える。
「豊橋市のケースなどを踏まえて…」と言う点であるが、こういった記事が出る前に、実名で登場した、田原市の大河氏は、環境省はもちろん、まずは地元自治体である田原市に再三再四にわたり測定の不備などを指摘している。
そもそもは、こういった事態に至る前に、田原市は「低周波音測定など手に負えない」と、愛知県に測定を依頼している。ところが、愛知県の測定は「来た。測った」で、氏に依れば、「何ら被害の現実を把握できる様なモノではない」として、擦った揉んだが有ったのだが、最終的に愛知県は、「手引書通りに測定する必要はない」とまで言い切った。
氏はその後、市、県という地元行政の不備を環境省、エネ庁などに訴えたが、いずれも氏の訴えを聞くだけで、「具体的な手を打つのは我々の仕事ではない」とばかりに、たらい回しにされ、挙げ句は、詰まるところは、「手を打つ法的根拠」が実はまるっきり無いのであるから、手の打ちようがないと言うのが真実のところである。
こういった現実は氏だけではなく、他の、風車の騒音被害者の訴えも、門前払いとは言わないが、結果的には同等の扱いを受けている。
実は、「手を打つ法的根拠」を持たない場合、霞ヶ関の役人ができることはソレしかないのである。その際の言い訳は、@環境省が言うように、”風車から発せられる低周波音が人の健康に被害を与えるかどうかは「科学的に未解明」”とA居直りの台詞は、資源エネルギー庁 ・新エネルギー対策課が言う、「守らなくても法律ではないので強制できない」言う決定的な2点に集約される。これは単に風車騒音問題に限ることではなく、多くの低周波音問題の行き着いた結果でもあった。もちろんその他の問題もそうであろう。
では、これまでに、低周波音被害を科学的に解明しようとする具体的な試みが何らかなされたであろうかと言えば、全く否である。
唯一、これまで日本に於いて低周波音被害について”科学的”に解明」されていることと言えば、「現実に存在するような低周波音では人間の健康には被害が生じない」としている点だけである。そして、それを科学的に担保するのが「参照値」だ、と言えば、聞こえは良いが、現実の被害を見ると「参照値」は被害現場を黙殺するために作られたとしか思えないような値としか考えられない。
今回室長が述べている「対策目標値」と「参照値」はどこが違うのか不明だが、「参照値」には法的拘束力はないのであるから、「対策目標値」には法的拘束力があるのか。
環境省の言う、海外情報の収集については、私でさえも凡そ調べられたように、今日では、何もわざわざ、環境省様が「海外情報の収集を開始」などと大仰なことを言わなくても、既にそこいらの所は環境省も完全に把握しているはずである。何故ならネット時代の今、素人でも、ある程度英語ができれば、比較的容易に調べることができる。もちろん中にはタダでは見せないというような情報・論文も有るかもしれないが、今時そんなことをしていてはデータが腐るのではないか。
環境省としての問題は外国語の情報の取捨選択をどう操作するかだけであろう。その方法は、もちろん低周波騒音被害について肯定的な情報は、最終的には「大方に科学的に認められていない」とでもして、被害を否定する情報については、「科学的に被害はないと解明されていない」にも拘わらず、「大方が認めている」と言うことになるであろうことは明らかである。結果は恐らく、依然「科学的に未解明」とでもして終結すればまだ良い方で、実のところは、単にほとぼりが冷めるのを待つのではなかろうか。朝日には是非ともその後の取材を願うモノである。
実のところ風車被害を肯定する海外情報はそれほど多くはない。かといって風車被害を完全に否定する情報が満ちあふれているかというと、実は無い。それは風車被害否定論者からすると、「被害はありようがないから、敢えて、だれも語らないだけ」だと言うのであろうが、「完全に風車は大丈夫」などと今時声を大にして世界中の風車被害者の集中攻撃に遭っては敵わないだけなのではあるまいか。
そうして被害を避けるために公的には、黙して語らないだけで、語るなら、風車被害を否定したところで一銭にもならないネットなどと言う修羅場でなく、風力発電業者の提灯持ちをして、「風車は大丈夫」と密かに語ることである。そうすればなにがしかの講演料も入るであろう。
更に、環境省は「風車の一部で低周波音の測定を始める」ともしているが一体どこの風車で測定を始めたのであろうか。まさか、誰も見ていない、即ち、人家の遙か遠くにある様な風車の測定をしているのでは無かろうか。少なくとも、まずは被害者の存在するところから測定を始めるのが常道というモノだと思うが。さすれば、どこかの被害者から、「測定に来た」と言うような情報は出てくるはずなのだが。
何はともあれ国が先ずすべきは「風車被害、ひいては、低周波音被害者の存在」を認めることである。そして、未曾有の不景気、政治の不安定の最中、はなはだ困難なことではあろうが、「科学的に未解明」な点についての解明研究にまずは金を出すことだ。カネが無くては研究者も動かない。
もちろん国のひも付きの研究から「被害がある」等と言う、画期的な研究結果が出てこようとは思えないが、そこにせめてもの微かにではあろうはずの研究者の「科学者としての良心」に期待するしかないのだが。
これまで国により延々とおざなりに放置されていた低周波音問題が朝日新聞の記事一つで、早急に解決へ向かうようなことがあれば、流石、大新聞朝日であるが、しかし、現実には恐らく、国は一過性の事として口先だけで何かしますと言っておいて、その実放置し、一般国民が忘れ去り、「社会的な関心」が沈静する時を待つのであろう。
Aについては、NEDO自体は経産省のお墨付きと言うより出先機関みたいなモノで、国の政策を忠実に実現することに使命があるのであるから、風力発電推進一本槍であるのは当然であるが、その大元の”資源エネルギー庁 ・新エネルギー対策課は「事業者を信頼し厳密なチェックをしていないが、守らなくても法律ではないので強制できない」”とし、補助金行政の垂れ流しイージーさに尽きる。とはいうものの、彼らにとっても、実のところは詳しいことは何も解らないのであり、責めるべきは、指南役のNEDOなのであろうが、これは垂れ流すのが仕事なのであろうから、何らかの手を下すようなことは有り得ない。
即ち、「国はあなた方風力発電事業者を信頼しておりますので、法律で風力発電導入に被害に関しては何も関知しません。また、縛りのような法律は全く作っていないので、何をやっても法律には引っかかりません。何でもかんでも勝手におやりになり、風車をドンドン造って下さい。」と言うことであろう。
もちろん風力発電の場合は国が推進しているのであるから、風力発電事業者は切り込み部隊のようなモノであり、いざとなれば末端業者の責任として切り捨てればいいのであろうが、それにしても無責任極まる非道いモノだ。
風車問題は知るほどに、「完全野放し状態」と思っていたが、でも、どこかに何か歯止めがあるのではと期待していたのだが、ここまで首尾一貫して完全野放しであるとは思わなかった。これでは事業者が最後には「居直る」はずである。これでは幾ら被害者がギャー、ギャー喚いたところで暖簾に腕押し、蛙の面に何とかである。
Jパワー(電源開発)などの担当者の「家があることに気づかなかった」に到っては無茶苦茶でござりますがな、としか言いようがない。建設に際しては航空写真くらい撮っているはずなのだから、言い訳にもならない。完全確信犯!
最後まで読んでくれて有難う
090131
風力発電事業者にとって究極的に好都合な事実 風力発電事業は”治外法権”