4.「第4章 低周波音 4.2 低周波音の身体的影響」
4215 低周波音被害と訴えと耳鳴りの関係
「低周波音の訴えが、耳鳴りにすり替えられた」という話はこれまでも時々聞いた。低周波音被害者には丁度良く、比較的高齢者が多いので、”低周波音は聞こえないし、耳鳴りもしない人たち”から、「高齢者のあなたが私は勿論他の人にも聞こえないはずの低周波音が聞こえるのは耳に問題があるに違いない。」として耳鳴りとして診断されてしまう。しかし、これは謂わば「群盲象を評す」以下の話で、”群盲象に触りもせずに象を評す”とでも言えよう。
私もこれまで必ずしもその違いを明言できなかったが、幸いにと言うべきか、いや、やはり不幸にもと言うべきなのだが、最近耳鳴りが時たまするようになり、その違いを明言できるようになった。
サイト中でも述べているが、「時々の耳鳴り」と「低周波音の聞こえ」は完全に別物である。こう断言できるのは耳鳴りを病む前に低周波音被害者になった被害者しか居ない。と言うのは、既に耳鳴りになってしまっている人は新たな音の侵入、混在はなかなか明瞭に区別することは難しいと考えるからである。
挙げ句に、もしその人が、既に医師に耳鳴りで診察を受けていたとしたら、殆どの医師はそもそも低周波音被害なるものの実態を知らないと言うより存在そのものを知らないであろうからその区別を付けることなど出来ようはずもない。
一方、低周波音専門の理工学者や測定者などは、仮に測定で低周波音が有ると解っても、低周波音が聞こえないかも知れないし、耳鳴りがどうした状態かも知らないとすれば区別の付きようがなく、判定は出来ない。ただし、低周波音に長い間関係しているとその内聞こえるようになる人も出るらしいが、それでも必ずしも低周波音被害者になるわけではない。因みに汐見氏は多くの現場に長時間携わっているはずだが聞こえないらしい。低周波音の「聞こえ」は必ずしも年の功ではなく、亀の甲らしい。
とうことで、低周波音と耳鳴りに関しては必ずしも専門家的知見がないのか、今もって所謂医学的知見とか、科学的知見とかにはなっていない様だが、本人から以下のような“聞こえ方”を聞けば大凡の判断は付く。
その違いを高齢の被害者の言いと私の経験を混合すると、
@耳鳴りは低周波音に比べ明らかに高い音である。
A耳鳴りは騒音源の有無は関係ないので当然ながら音源のオン・オフとは関係ない。
B音の鳴り響く状況は、耳鳴りは当たり前だが明らかに脳の中だけで鳴っている感じで、仮にそこに低周波音可聴者が居ても聞こえない。一方外部低周波音は”低周波音不可聴者”でも感じることはある。
私が会った耳鳴りの非道い人では朝目覚めの瞬間、と言うより耳鳴りで目が覚め、夜眠りに落ちるまで鳴り続くそうで、「今も鳴っている」と言うことだが、もちろん私には聞こえない。治療法は唯一「気にしない様にする」であるという。どこかで聞いた事のあるような“治療法”だ。
もし、”低周波音が原因の耳鳴り”であれば、その後「低周波音による非アレルギー性音過敏症」は残る場合は有るモノの転居によって大方は癒える。しかし、一方、普通の耳鳴りなら転居により必ずしも言えるわけではあるまいが、ストレス性のモノであれば、引越や転職で直るはずであろう。もしそうであれば耳鳴り治療のため”転居や転職”の数が増えようはずだが、そうした話しは格別聞かない。少なくとも今のところ耳鳴りは原因不明の不治の病のようだ。
筆者が「一般の聴力検査は125Hz以上の周波数を対象にしている」と引用しているが、耳鼻科に於ける一般の聴力検査は基本的には「聞こえるか、聞こえないか」を問題としており、必ずしもどの程度聞こえるかはそれほど問題にしておらず、一定程度聞こえればOKとしており、実際に具体的なデータを示さず「100Hz以下も多い」としているがどの程度の割合なのだろうか。いずれにしても100Hz以下の耳鳴り("専門家"はこれを”低周波音耳鳴り”とする)に付いてはそれなりの検査をしないことにはその症状が耳鳴りであるとは断定できないはずだが、勝手に診断して病名を付けて低周波音被害者を納得させようとは…。
両者では音の高低が全く違う、とは言え、間欠的にやってくる耳鳴りの音の周波数は測定できるのであろうか。私だって経験感覚的に相対的に判断しているだけで、絶対音感でもあれば多分可能なのだろうが、当然ながらデジタルで周波数が言えるわけではないのだから、科学的知見にはなるまいが。
ともかく、こうして無理矢理、現在、医者が知っている病名(=科学的、医学的知見が有りそうな)に当てはめようとし、当てはめられない場合は低周波音被害の研究でもするかとも思いきや、そうではなく、喚けば基地外、静かにしていれば無視というやり方は、この問題に医師の積極的な参加が望まれるのだが、こうした態度では発想そのものに根本的な限界があると言えよう。
もちろん科学的知見と国の意向を重視する司法では、「横浜市営地下鉄における振動・低周波音被害責任裁定申請事件」において、申請人の健康被害と地下鉄の列車の通過によって発生する低周波音は因果関係が有るとしたが、裁定は「申請人らが上記の周波数領域の音を感知したと認めることは困難である。また、現時点において、感覚閾値以下の低周波音による健康影響を示す明確な知見がないことに照らすと、上記の周波数領域の低周波音により申請人らが心理的、生理的影響を受けたと認めることはできない。」として棄却された。この問題についてはこちらを。
4221 汐見文隆氏
汐見先生に初めてお会いしたのは「2003/11/27全国保険医団体連合会と環境省の間で、今後、環境省が作成する"低周波音問題対応のためのガイドライン"について懇談・交渉をするが、君も来ないかね。」とお手紙が有り、環境省でお目に掛かったときだ。恐らく先生に会った人の殆どが思うであろう様に、この世に清廉潔白とか正義とか言う言葉があるとすれば、この人のために有るとしか思えないのではと思った。
その後思ったのは、氏は当時、「正義は必ず勝つ、正論は必ず国も認めざるを得ない」と思われていた節は否めない。その後、風貌も似ており”冗談半分以上”くらいで、失礼にも「先生はドン・キホーテに似てますね」と言ったとき、先生はニヤッと笑って、「いやー、私はドン・キホーテが大好きですね、ウニャウニャ先生に画いてもらった彼の絵が私の書斎にあるんですよ。それはね、…」と言うようなことを言われたのを記憶している。多分その時私は「ロシナンテ」になることにしたのだろう。
環境省での経緯は私の記憶では汐見先生が一人喋っているだけで、同行した“苦情者”数人は何らの口を挟むほどの余地はなく、私に限って言えば、そのころの私は、場慣れしてないのはもちろん、やっとの思いで低周波音地獄から逃げおおせ、小康を得、一から”低周波音”を調べ、その過程に於いて、これは単に理化学的問題ではなく、「政治的問題」で有ると思うに至り、拙著「黙殺の音」を書き終えた所であったが、口を差し挟むような基礎たる知識そのものが発動できる段階になかった。その時に長らく汐見先生と行動を共にされている奥様や騒音SOSの田中幸子さん(元騒音被害者の会会長、後に騒音SOS理事長として長らく低周波音被害者の立場で環境省に働き続け、先ほど会の活動からは引退されたが、「昔の環境省の担当者はそれなりに被害者(=苦情者)の話を聞いてくれ」ていたそうで、その成果がある意味”ガイドライン”となったのだが…。)とも会った。ここから私の本当の「黙殺の音」への道が始まったと言えよう。
その後2度ほど全国保険医団体連合会での先生の発表会にお誘いいただいた。その発表内容は端的に言えば、「世の中には”低周波音被害”と言うモノがある。国はこの被害を認めよ」と言うことで有ったように思う。その学会では、シックハウス症候群やプルーサーマルの問題も発表されていた。
後で思えば、それは1999年(平成11年)の「隠された健康障害―低周波音公害の真実」の延長にあったのであろう。そして、これはそれまでも長い間先生ご夫妻と被害現場に同行されていた田中さんの話では「発表内容がいつも一緒で…、被害者の具体的な話をもっとして欲しい」と言うことであり、その後の先生の活躍を思えば、正直、誠に失礼極まりないが、先生も行き詰まったのかな。低周波音問題はこれで終わりなのかなと思ったわけだが、今思えばそれはホンの10年ほど前のことだ。
10年一昔とは良く言ったモノで、確かに当時は世の中の私を含む当の低周波音被害者ですら、そうした内容を殆ど知らなかったのだから、先生が、低周波音被害そのものを全く知らない聴衆を相手に、低周波音被害を常に一から”宣伝”しなくてはならないのは当然のことだったのであろう。
さて、話を「黙殺の音」にもどすと、“一番の発見”は、ここで言う主流派は「環境省、日本騒音制御工学会、理研=リオン」の”三位一体”というより、”一体三位”であり、環境省はそもそもこの問題を黙殺するか、うるさ型の「苦情者」をその場凌ぎ的に単に”慰撫”しているだけではないか、国はこの問題を解決する気はない、と言っては言い過ぎとすれば、現段階に於いては解決の方法が無いため被害を認めず”被害はない”という形を採って居るのではないかと言う結論に至った。この結論状態は今もって何ら変化していない。風車騒音問題についてはこの三者に「nedo独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構」が加わっただけと考えているので、私は風車騒音問題もこれまでの低周波音問題と構図は同じと考えたのだが、汐見氏は「風車騒音問題はこれまでの低周波音問題と別物」と考えてみえるようなのは残念だ。
一方、こうした“日本騒音制御工学会ワルモノ”的考えは今ではそれなりに”常識度“を得ているが、当時、田中さんはもちろん汐見先生も「日本騒音制御工学会、リオン、理研は環境省という国の手先であり、本質的に低周波音被害者の”敵”である」と言う私の構図は信じてもらえなかった。と言うのは特に「官学産」から成る”主流派”は事ある毎にそれなりに被害者達を救うが如くの”味方”になったりして”慰撫”していたからである。それは現在の「騒音SOS」の状況を見れば明らかである。
何れにしても、そうした結果も踏まえ”被害者を明確にするため”として、如何にも被害者を救うような能書きで出現したのが「参照値」だった。