エコキュートによる"死"-1

睡眠を奪い死に至らしめても殺人ではないのか


1.殺人と自殺

1-1 死ぬほどの苦しみと死

  ”「静かな振動とうなり」は被害者に絶えることなく襲いかかり、睡眠を奪う。音の”聞こえ”は益々増し、脳の中に抉り込むようになる。被害者は時を経ずしてやせ細り、目眩が続き、全身が衰える、日々の暮らしもままならなくなる。
 そうした時間の経過は、遠からず鬱的状態を招き、自分だけが救いのない地獄の底を這いずり回っているような認識となる。助かる術も見いだせず、ついには、明日を生きていこうという力を無くし、死しか考えられなくなる場合もある。これが実に、エコキュート”騒音”による苦しみから死への道だ。
 こうした自殺は、エコキュートの騒音の影響の苦しみに耐え切れずに自殺したのであるが、自殺原因としては、鬱病による自殺となる。3万人を超える年間自殺者数を減らそうと思うなら何故死を選んだのか、特に鬱病の場合には何故鬱病になったかまでを調べずに、単純に「心のケア」をするだけでは自殺者は減らない。

 
 こうした言葉は、低周波音被害を経験したことのない人にとっては、同居人でさえ「何をオーバーな事を」と思うであろう。が、それが現実のものとなってしまった事が、配偶者の方が建築ジャーナル5月号“「エコ」と低周波音被害”と言う手記で明らかにされた

 ここから話しはクドクドしく相当大回りになる。

1-2 台湾で風車が“ヤギを殺す”

 090521、台湾で風車騒音の影響でヤギ400匹が死んだと言うBBCニュースの見出しは、Wind farm 'kills Taiwanese goats'(風車が台湾のヤギを殺す)であった。この事件は海外では結構話題となって、本来なら、日本の風車反対サイトくらいは、それなりにギャーギャー騒ぐかと思いきや意外と静かであった。

 確かに、この話はそもそも、日本で採り上げた数少ないexcite.ニュースでも「世界びっくりニュース」と分類しており、かなり“際物的”に扱っている。”日本の良識有るマスコミ”はこういった本当に有った事件でも、”異様である”と思うと無視する傾向があるのであろう。しかもその原因が、今当に国策として進捗している様な風車事業での不祥事的事件とあっては、冗談的にも扱わないのかもしれない。いずれにしても、日本では新聞やTVが日本語で報じないような事件は、実はこの世に「無い」のと同じなのであろう。

 さて、ヤギの死なのだが、ヤギが苦しさのあまり集団的に岩にでも頭を打ち付けて死んだとなれば、それは「明らかに自殺」とでも言うことになり、流石に相当にビッグニュースになるのであろう。

 もし、これらのヤギが放し飼いなら風車から離れた、もっと静かなところに勝手に逃げてしまえばいいのにと思うのだが、それがそうはいかなかったのは、風車からわずか40mの小屋に繋がれ、眠ることもできず、夜も立っていたと言うことであるから、もう拷問死としか言いようがない。それほどヤギは従順なのかは知らないが、とにもかくにも長期にわたる不眠状態から体が衰弱し死に到った、考えるのが普通なのだが、専門家というモノの考えは少々違うようだ。
 

1-3 裁判員制度には私は反対

 話は全然飛ぶのだが、以下は、既に始まった裁判員制度に関するHPにあるQ&Aで、「どうして裁判員制度を導入したのですか。これまでの裁判に何か問題があったのですか。」の答えの一部だが「専門家と言う類の人種」の考え方をなかなかに良く表していると思う。

 これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
 しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。…。

 この実に言い訳がましい文を普通にすると、

「裁判の専門家である検察官や弁護士,裁判官は、専門的な正確さを重視するあまり、丁寧で慎重な検討をする。その結果、詳しいが、国民に理解しにくい判決を出す。さらに一部は審理に長時間を要する…」とでも言う事になるのであろう。

 ここで、発作的に裁判員制度を持ち出したのは、タダ単に、上の文章の「裁判」を「低周波音」、「判決」を「理論」と読み替えれると、当に低周波音問題にピッタリであると思ったからにすぎない。

1-4 台湾の風車の“ヤギ殺し”は科学的に証明されるのか

 さて、ヤギの集団死に戻ると、自殺でなければ、何か原因が有るはずだが、風車の設置後ヤギは死に始めたと言うことである。もちろん、風車はただ建っているだけではないのであり、多分、騒音を発しており、しかも、相当な音圧の。それがヤギを不眠に追い込んだのではないかと、「風車の騒音とヤギの死は密接な関係があるはず」であると考えるのが、風車大好き人間を除く、多くの一般人が現実の風車を見て、その近くにしばらく存在したことがある一般人としての常識的思考である。

 ところが、専門家的には、こう言ったことでさえ、“科学的”に証明されないことには風車を犯人とすることはできないのである。即ち、例えば、風車の足下に実際にヤギを置いて死ぬかどうか”科学的実験”=追試でもしてみないことには科学的にはならないと言うことだ。もちろんこれをこうした事実を踏まえて敢えてするとすれば、それは”動物虐待”とでもなるのであろう。そう考えれば、現在人家近くに存在し騒音を発生し続ける風車、或いは、既に騒音被害が存在する可能性が有ることを知りながら建設を進めようとしている事業者は人体実験をしたという731部隊と何ら変わるモノではなかろう。そして、国はそうした状況を「因果関係が不明」として、何ら禁止していない。と言うより補助金を出してまで奨励しているのである。

 一概には言えないが、裁判官・検察官などは所謂科学に弱く、挙げ句に一般的常識を欠くと、己が理解し難いが故に、一度”専門家”と名の付いた人間からの言説は”科学的”となれば、さらに自己の”思惑”に合致しそうなら、容易に盲信してしまいがちである。
 しかしながら、実は言うまでもないだろうが、科学的知見も、常識も永遠不滅ではなく変わる。もちろんその変化は必ずしも進化ばかりとは言えないので、単に入れ替わると考えた方が無難である。しかし、その最新最適であると思った内容について、後は拙かろうがどうであろうが、本人達以外には何の値打ちもなく、本人以外の人たちにはただただ害を与えるだけの「面子」と言うモノに拘泥してしまった愚の骨頂に司法が到った場合の一例が足利事件ではなかろうか。

 そう言った視点からすれば今回の裁判員制度により画期的な判決が出る可能性が無いわけでは無かろうが、恐らくそう言ったことにはならないであろう。例えば控訴審の割合が増えたりすれば、裁判員制度の意味あいは、同時にそれをリードしたはずの裁判官の能力が問われることになるのであろうからであるが、この問題は当サイトの範疇外として、ひとまず置く。


2.風力発電と低周波音問題

2-1 風力発電屋は低周波音が問題になることを最初から知っていた。で、…

 台湾の風車事件の場所は元々もの凄く風の強いところらしく、もちろんそれ故に風車が作られたのであろうが、そう言った場所での風車の騒音問題は、NEDOが「風力発電のための環境響評価マニュアル(初版2003/7」で、いみじくも述べているが、

 「風車が稼働するのは強風時が多く、このようなときには周囲の木々、電線、建造物等からも風切り音が発生する。海岸部の風力発電所においては波も高くなり、これが砕ける周波数の低い音も非常に大きくなる。したがって、このような自然に存在する音が、風車から発生する騒音をかき消す現象(マスキング)により、影響が現れにくいという特徴がある。

 とはっきりと「風が強ければ、風車の音はそれに紛れてしまい、風車の音と風の音の区別は付かなくなり”影響が現れにくい”」という、低周波音における「聞こえない(or気にならない)音では健康被害は起きない」と言う“聞こえない低周波音無影響論”を展開している。

 それにしてもこのマニュアルは低周波音に関する説明が結構詳しく、これさえ見ていれば、風力発電の低周波音問題が起きるはずはなく、仮に起きたとしても事業者は「低周波音の測定は初めて」等と言う台詞は吐けるはずがないのである。NEDOの肩を持つ気は毛頭無いが、NEDOが言うとおりの事が真っ当に行われていれば、昨今の風力発電施設における低周波音問題について事業者側が「測定は初めて」等と言う事態は有り得るはずもなく、事業者の事に当たっての低周波音に関する言説は全くその場凌ぎの真っ赤なウソであったことがはっきりと判明した。(風車事業者悪人説&NEDO無責任説)


低周波音

三 調査地域について

施設の稼働による低周波音の伝搬特性を考慮して、低周波音に係る環境影響を受けるおそれがある地域(原則として、対象事業実施区域及びその周辺1km の範囲内)とする。

五 調査期間等について

現地調査を実施する場合においては、対象事業実施地域及びその周辺地域の実態に応じて適切な時期を選定し、1季以上について平日又は休日、或いはその両日に調査する。

九 予測対象時期等について

最も低周波音が大きくなると考えられる全ての発電設備が運転している状態において予測する。その際、現地調査時において確認された風速データ等を参考にしながら、風速に応じた低周波音レベルを予測する必要がある。


 即ち、上記のような調査がまともに実施されていれば、少なくともその段階で、それなりの雰囲気が地域に漂い、如何に動きに疎い住民でも何かを感じ取ったはずであり、「ある日突然風車が建つことになった」等と言う話しは到底有り得ないはずなのである。

 さらに、これらの事前調査費用についても「
新エネルギー技術フィールドテスト事業」として1/2相当額が国から補助されるのだから、そうそうケチることは無いと思うのだが、やはり、後の1/2が自腹切っての経費的には勿体ないのであろう。それとも矢張りまともに表立って動いてしまうと“ろくでもない”反対運動が起こってしまうので、あくまで隠密裏に行う必要があるのか、あるいはそんなことはなかろうが、調査をやったことにして”猫ばば”してしまったのであろうか。いずれにしても補助金に対するそれなりの検査くらい有りそうなモノで、そうすれば先ず間違いなく問題が出てきそうなモノだが、NEDOにとっては所詮自分のカネではなく、交付金として配るのがお仕事で、それを交付される事業者はあくまで”善意の人”と言うことで、私のようなゲスが考えるような事はしない事になっているのであろうからお話にならないのだが。

 風力発電推進の元締めであるNEDOの文書はあくまで単なる風力発電施設建設ガイドブックであり、事業者は都合の良いところは頂き、不都合なところは無視してもOKの様で、地元自治体が定めたガイドラインもあくまで事業者性善説に基づく「紳士協定」なのであるから、いざ不都合が起きても事業者が「それがどうした。法的には問題無い」と尻をまくれば、それまでの事なのである

 この事業者性善説に基づいて行われていることを巧妙に利用したのが耐震偽装や食品偽装などの偽装事件なのである。風力発電の建設が盛んになったのも当にこの時期である。既に一部では完全に偽装は禿げているはずなのだが、何せ国がメクラ判を押し続け、交付金交付という最大のスポンサーに名を連ね、パスさせている事業に対し、そうそう簡単に今更「風力発電事業者が申請や経費や性能や環境影響で××を言っていました」などとは口が裂けても言えず、シラを切るしかなく、無責任体質ここに極まれりといった感じである。

2-2 風力発電施設の低周波音問題は問題になると関係者は予想していたはず

  風力発電事業者や低周波音"専門家"は、己が風車の脇に住んでいるわけでもないのに、風車被害者があたかもキチガイじみたクレーマーのように、「風力発電施設からは低周波音など出ていない」「出ていても人間に被害を与えるようなレベルではない」等と、確たる証拠もなく、強いて証拠と言えば、「海外からの被害情報がない」等と言う。
 実際には海外からの風車騒音有害情報はあるのだが、それが(風力発電に関係した)公的機関が認めていないとか、科学的で無い等と言う理由から、不都合情報は排除し、延々と風力発電の影響について「影響は無い」とする情報だけを「海外情報の収集」
「知見の充実」に努め、後は延々と「注視し続ける」と言う環境省と同じ様なことを宣うて居るのがここ”延々”の実情だ。

 こうした輩は風力発電施設に否定的な意見に対し、風車騒音被害者が風力発電施設にもつのと同程度ではあるが、真逆のアレルギー的反応を示すであるが、風力発電関係者にとっては、風車騒音問題における騒音問題は、決して「単なる騒音」ではなく、実は低周波音が問題である事を、必ずしも騒音を主体としているわけでもない「風力発電のための環境影響評価マニュアル」作成時に十分に認識していた事に思いを致すべきだ。

 このマニュアル作成の委員長は必ずしも低周波音の専門家ではないのかも知れないが、騒音の専門家、
山下充康氏に任せているのである。因みに、山下氏は、現在は日本に於ける低周波音問題の総本山とも言える小林理学研究所の理事長であり、環境省の騒音専用御用学会である日本騒音制御工学会などはむしろこの研究所の傘下にあると言っても良いくらいなのだ。


3.睡眠を奪い死に至らしめても殺人ではないのか

3-1
睡眠不足→鬱病→自殺

 さて、「風車騒音がヤギの睡眠を奪い、死に至らしめた」という点から話しがずれたので戻すが、「睡眠が取れずに死ぬ」とはどういう事なのか少々具体的考えてみたい。

 その一例として、私が低周波音症候群最悪状態の頃を思い出してみると、まずは、
@かすかなダンプのアイドリングの低周波音により睡眠が断ち切られる。
A騒音の発生が定期的であると、それが始まる時間を予測し、騒音開始前に目覚める様になる。
B無理矢理目ざまされることを思うと眠れなくなる。と言っても多分ウトウトとは眠っているのであろう。いずれにしても、眠ったような気がしない。医者が良く言う「睡眠の質」が最悪となるのであろう。
Cそして、私の場合は道路際だったので、騒音に対する敏感さが非道くなるにつれ、何十年も何の問題も無かった通過交通の騒音が耐えれなく奈良、どちらかの耳から脳の中を突き抜けどちらかの耳に突き抜けるようになる。
Dそのころには食欲、意欲、全てが無くなる。
E当然一日中ボーッとする。
F体力はますます消耗し、衰弱し、何ががなんだか解らないような状態になる。
Gついには寝込んでしまう。

Hこういった状態で医者に行っても、恐ろしいことに科学的医学検査的には何の問題も無いのである。当然ながら私が訴える症状の病的原因は見つからず、医師としては精々体力回復のための点滴をするくらいだ。そして、とにかく眠るのが必要と言うことで睡眠剤を飲むようになる。
Iしかし、倦怠感が無くなるわけではない。
Jその内に、こういった状態が一生続くのかと思うようになり、さらに自分の力でどうしようもないと思い詰める。
Kそうした状態が続き、生きていても仕方ないと割と簡単に死を考えるようになる。

 この当時私は低周波音被害がどんなモノであるか知らなかったと言うより、知る術が無かったのだ。ヤギも全く同じだったのだろう。それまでに十分に鬱状態に陥っているので、もう完全に「不治の病」になってしまったかのように思いこんでしまう。

 大抵は、こうなる以前に、山羊とは違うので、何とか「その場から逃げてしまう」事を考えれば良いのだが、そこに至るまでに随分時間がかかった。今では、まずは逃げることを考えるであろうから、そう言った状況にはならないはずなのだが、もちろん、それも現実としては騒音源を絶つこと、現場を去ることも中々難しい。しかし、死にたいほど苦しければ、ああだこうだ言うのは置いて、とにかく被害現場を去るしかない。
 
 これと同じ事が、いじめによる自殺と同じだ。学校には行くことは無い。学校へ行かなければならないと言う呪縛から解き放され、引きこもりでも良い。死ぬよりは増しだ。死ななければいつかは何らかの解決法が見つかるかもしれない。

 ヤギの場合は低周波音被害の何たるかを知ることもなく、逃げることもできずに死んだのであろう。人間の場合でこれに近いのが拷問であろう。

3-2 180時間断眠も無問題

 WIRED VISION記事に依れば、

 米中央情報局(CIA)の尋問者が、テロの容疑者を7日半の間ずっと眠らせないでおくことは無問題(okay)だと、2005年に書かれた覚書(PDF)の中で、ブッシュ政権下で働いていた法律家らは、そう主張している。

 その理由は、「かなり長い間睡眠を断たれたとしても、身体的苦痛は生じない」からだという。法律家たちはこの主張の裏づけとして、多くの一流大学の研究者たちが行なった睡眠に関する研究を引き合いに出した。そして今、これらの研究者は、自分たちの研究があまりにもひどく誤用されたと発言している。続きの文自体が抄訳なのだが、それを尚かつ要約すると、

「眠らせない」と言う心理的ストレス要因は拷問として、非常に効果的方法で、精神異常を引き起こしうるし、他のストレスと一緒になることで、重大な結果をもたらす可能性がある

 とのことである。この重大な結果と言うのは言うまでもなく「死をもたらす」と言うことなのであるが、即ち、精神異常を引き起こし死に至らしめるような心理的=精神的苦痛はいくら与えても、身体的苦痛さえ生じなければ問題無しとする法律家の考えは当に究極の論理遊びだが、それは苦しめない死刑に通じる考えで、要するにギロチンならOKなのであろう。

 で、本題に戻るが、台湾の風車近くのヤギ達は、延々とこういった状況が続いた訳で、それは拷問と言うよりむしろ完全なる死への虐待と言うことになるのであろう。本来なら飼い主に多いに責任が有るはずなのだが、

彼(飼い主)が台湾でBBCの記者に語ったところでは、「私は何故なのか解らなかった。私が知っていたならば、私は、死亡を止めるために何かをしたであろう」と語った”

 と言うことであるから、無知は誰にとっても悲しい事であるが、許されるのであろう。しかし、低周波音の"専門家"は無知ではなく、「被害はない」と公言している”確信犯”であるから始末しようがない。

 因みに、「研究者立ち合いで公式に認められている“断眠記録”は、アメリカの17歳の少年ランディー・ガードナーが持つ264時間12分。なんと約11日間!にも及んだ」そうであるが、大抵はもちろんその前に精神異常を起こすそうであるが。http://genki06.ptu.jp/urauranewpage2.html

3-3 慢性的拷問

 風車騒音被害者、エコキュート騒音被害者が於かれている状況は、短期的には、この記事のような状況・程度とは流石に言わないが、今当に、慢性的拷問を受けているわけで、その拷問は“何かを白状すれば解放されるような拷問”ではないのであって、この際の尋問官は室外機や風車と言う、壊れるまでは延々と尋問を続ける機械な訳であるから、生身の人間は負けるしかない。

 騒音源側に被害者側が被害を受けているという自覚がない状況が、どういった結果をもたらすかは、これまでの騒音を契機とする殺人を含む事件などを思い出せば、凡そ想像できそうなモノだが、そこがそれ、理工学系専門家と言われる輩の何とも凄いところである“人間的想像力の欠如”という点で、「騒音が原因となって殺人までする、もちろん、自殺する場合もある」という、“科学的知見”が無く、それを得るには、単なる実例で満足できず、更には心理学、精神系の知見でさえ納得できず、科学的に追試できるようなデータを欲しがるのである。これについては既にクドクドと述べているので省くが、専門家というモノは、何ともドグマチックなものであるとしか言い様がない。

 そう言った機械的科学的思考性故に、人工的実験などでも及びも付かないような、非道い現実が被害者により展開されているにも拘わらず、いざとなると「そう言った実験は結果が予想できないし、万が一非道い状態になった場合、回復の方法や見込みが有るかどうか解らないので、そんな実験はできない」等と言う、何とも、まー、無茶苦茶な論理を跋扈させているのが今の低周波音"専門家"の低周波音問題に対する認識なのである。

 従って、行政にとっては「苦情」などは幾らあっても、それらはあくまで、「実情の把握」であり、単なる「苦情」であり、決して、「科学的知見」の累積の一助にもなることはない。根本的な問題として、国は「低周波音と健康への因果関係について科学的に明確になっていない」と言い続けるだけで、明らかにする気など毛頭無く、延々と「知見の充実に努め、因果関係は、必ずしも明らかではない」状態を維持し続けるのであろう。


4.今、ここにある被害

4-1 百聞は一見にしかず

 物わかりの悪い奴に「いっぺん死んでこい」等と言うのが昔から言われていたが、今時そんなことを言うと本当に死んでしまう子もいるので冗談にも言えない。が、まー、本意は、馬鹿は死ななきゃ治らないから来ているのか、生まれかわれば、少しは利口になって、それまで解らないことが解るようになると言うことであろうが、これも必ずしも利口に生まれかわれるわけではないのだから、何とも言えない訳だ。第一、宗教的信条は置いて、生まれかわれるなどと言う保証などどこにもない。

 で似たような言い回しで、「百聞は一見にしかず」と言うのがあるが、私のようにクドクドしい説明をするより、現物を見た方が解りやすいと言うことであろうが、世の中には一度くらい見ただけでは殆ど解らない事柄が少なくない。

 特に、地勢的なモノはその場に自分が存在し、その場全体を包み込む空気の感じとか色とか空気とか匂いとか、そして、写真で切り取られたのではない360度のドーム状の景観などを体と五感で感じないことには解らない場合が少なくない。で、それは映像で見ても、実は到底解らない。

 私がこれまでに一番強烈に感じた「空気」は30年以上昔に降り立ったラスヴェガス飛行場の空気である。飛行機から降りた瞬間、大型ドライーヤーの様な熱風がゴーっと来て、瞼と鼻と唇の湿り気が瞬時に飛び去り、自分の体から水分が抜けていくのを感じた。これが砂漠の”湿度”なんだと解った。これでは昼間はエアコンの効いたカジノから出るわけにはいかないはずだ。
 
 その場の空気というのは、自分の体が総合的に感じ、脳が認知する事なのであろう。それはデジタルでなくアナログ的に深い記憶として脳に残り、何年経っても、時有る毎に甦るのではなかろうか。これは今時で言えば、KK=空気感じるであろう。もちろん、人により感じ方が違うのは当然で、同じ状況にいても何も記憶していない人間もいるわけで、それを単なる感受性の相違と言ってしまうのは簡単だが、その相違は単に生来の感受性だけではなく、それまでの経験と知識が大きく影響するのではなかろうか。

4-2 低周波音被害に対する環境省の見解

 「百聞は一見にしかず」と似たように、「そうなってみれば直ぐ解る」ことがある。そう言ったモノの一つが低周波音被害である。殆どの人には低周波音被害など、まるで「何?それ」の話しで、これまで低周波音を感じるなどは極めて特殊な限られた人間であると思われてきたが、風車騒音被害により低周波音被害者の数は一気に増えた

 これまでも何度も述べているように、環境省は低周波音被害を“苦情者”と呼ぶが、こういった表現は英語にはなく、

 環境省はあくまで“苦情者”と呼ぶのだが、英語で”苦情、不平を言う” のは"complain”であり、日本語的感覚でああだこうだと文句を言うのは"クレーマー(claimer)"だと思うが、英文では低周波音被害者は” victim”= 犠牲者と書いてある。参照値に届かないような低い音圧の低周波音では健康被害は生じない”と、それを言い出した専門家はもちろん、その意見を丸呑みするしかない国=環境省は延々と言い続けている。偶に何か事あり、何か言わねばならないとなると、「海外の知見の収集と国内苦情者の状況を注視する」というコメントを出す。

 因みに、最近の平成21年6月16日第171回国会環境委員会おける岡崎委員の質問に対し政府参考人である環境省水・大気環境局長白石順一君は以下のように答弁している。

政府参考人(白石順一君)
 環境省におきましては、移動発生源等の低周波音に関する検討会というのを設けていただきまして、それによって、今年の三月でございますけれども、諸外国における風力発電施設から発生する騒音、低周波音に係る基準等の状況を調査したものを取りあえずの暫定版という形で公表をさせていただいております。

 まだまだ速報的な形で取りまとめたものでございますので、もう少し掘り下げた情報の収集あるいは調査というものを引き続き行いたいと考えております。

 いろいろな調査の手法というものがございます。まずは諸外国の状況ということでございますけれども、その上で、必要に応じてそれにまた追加する国内のいろいろな調査、聞き取り等も行わなければならないというふうに考えております。

 それにしても、政府答弁の、まずは諸外国の状況ということでございますけれども、その上で、必要に応じてそれにまた追加する国内のいろいろな調査、聞き取り等も行わなければならないというふうに考えております。」等と言うアホな答弁に対して、然るべき反論しない議員も如何なモノか。少なくとも、何を置いても、遠い外国の事例よりも、まずは、低周波音被害の”人体実験”中の真っ直中にいる“マウス”状態にある被害者の状況である国内のいろいろな調査、聞き取り等」から始めるべきであろう。外国の知見調査はそれからでも十分であろう。余程国内の被害実例は調べたくないのであろう。


4-3 エコキュート騒音被害は純国産

 国内のいろいろな調査、聞き取り等」と言うことになると、実は少なくともエコキュートの被害に関しては世界中どこを探しても、現在の所、絶対に無いはずだ。何となれば、エコキュートと言う製品は日本以外では発売されていないからである。従って、エコキュートの英語の表記はメーカーで確かめたところ無いそうだ。“Eco-Q-toe”は単に私が音を当てはめただけである。ついでに、これは以前に述べたが、瞬間湯沸かし的給湯設備も海外では殆ど普及していないらしい。最近やっと食堂関係で普及し始めたところらしい。

 したがって、少なくとも、エコキュートによる被害はどういった形であれ世界にその例証を探すことはできないのであるから、エコキュートに関しては、世界の低周波音専門家達も「一聞もしたことさえない」はずで、「諸外国の状況」とか「外国の科学的知見」を調べても何も出てこないはずである。

 ただ、不幸中の幸いと言ってよいかどうか、風車騒音に関しては海外には既に幾多の反対サイトが有り、それなりの専門家による文書も出ている。しかし、環境省の「検討会」による「諸外国の状況」調査にはそうした文書は引っ掛かってこない。見れども見えずではなく、見れども見ず、と言うことなのであろう。

 詰まるところ、日本に現実にある被害はさておいて、「専門家が世界を探しても見つからないから、日本にも被害はないはず」等と言う、本末を転倒した結果を“御用専門家”は国に提供するのであろうか。

4-4 低周波音被害者は詐欺師、詐病者か

 現在、低周波音被害を訴える人々が全くのウソを言っているかどうかは、既に何人もの人たちが「低周波音の現場を離れる」がためだけに、自前で別に部屋や家を借りたり、最終的に引っ越しまでしている事実をどう考えるかである。そこまで無駄に大枚なカネを掛けてウソを言って、手に入れなければならない利益とは何なのだ。如何に馬鹿な役人でも、"専門家"でも、風車××でも、考えるまでもなく、そうまでしてウソを言わなくてならない理由がどこにあろうかくらいは解るはずである。

 挙げ句に死までに到ってしまっても、なおかつ、国はその訴えを真摯に捉えることなく、「因果関係は、必ずしも明らかではなく、知見の充実に努める」と繰り返すのみである。

 ここで言う、知見というのはあくまで被害者や低周波音被害存在の事実や訴えのことを言うのではなく、環境省的(公害というくくりで行けば国)には、それらはあくまで「苦情」であり“科学的知見”ではないのであり、この問題に関して科学的知見となるには、少しオーバーだがはっきり言えば、環境省の完全御用学会である、日本騒音制御工学会が「科学的」と言わなければならない。そして、それに「そう」と言わせ得るのは国なのである。ところが国は決して“科学的”に動くわけではない。


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090709


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