所謂専門家が「科学的な知見に基づき…」等と言えば、これまで私ももちろん一般人は「左様ですか。ならばそうなのか」等と思うしかなかったのだが、(一応、私は低周波音問題以来"科学的知見"というモノは、政府が国会答弁などで言う”前向きに対処します=何もしない無視”以下である、敢えて言えば表だってこの言葉が使われるような場合は、事実を積極的に否定するような場合であると考えている。
即ち、そうした事実が常識的に考えれば”有り得る”のだが、、行政や専門家業界等の当事者にとって、不都合、不利な問題で、その本質をぼかしたい、と言うよりむしろ、隠蔽したい様な場合に使われてきたことが、原発・大震災により、単に原子力関係(ムラ)に限らず様々な面で、特にこれまで「科学的」を”錦の御旗”に表明してきたような分野に限らず、経済、法律の面などでもハッキリしてきた。もちろん政治や行政などの分野は端から科学的等という論理性とはほど遠い存在であるから、”幸いにして”そうした状況に改めてなったわけではないから現在の政治の混迷を見ても驚きはしないが、現在の欧州経済問題が将にこういった状態で、同じ手でチョットと品を替えるだけで何度も美味しければ”経済危機の仕掛け人(ヘッジファンドなど)”にとっては笑いが止まらないだろう。
もちろん、これまでもそうした状況に疑念を持つ多くの人々が様々に警鐘を鳴らし続けてきていたのだが、こうした事態(自分にとって身近な状況)になって初めて一般人にも知れるわけで、勿論知っている人は知っていたのだろうが、こうした状況が暴露されるには、依然として、やはり既成大マスコミの”お力”に依るしかない。因みに、それまでは津波は別として、自称理系のモノ知りも、これまでは「日本の原発は日本の中でも最も固い岩盤の上に造られており、どんな地震が来ても大丈夫」などと言っていたが、今進んでいる調査では原発の近くに断層がゴロゴロあり、一体これまでどう言った調査がなされて来たのか思うのは私だけでは無かろう。中電浜岡に到っては地盤は相当ヤグく、地震が来る来ないの問題だけでなく、本来造ってはいけないような場所だったらしい。
とにかく今般の事態は、”科学の粋”の頂点のような原発でさえ、根底に於いて、”想定外”があり、挙げ句に、”最悪の場合にも手の施しようがない”と言うし、最終的状況は”有り得ない事”として”想定”し、想定さえ意図的にせず、「安全」としたとすれば、”安全神話”なるモノは将にこれこそ文字通りの「砂上の楼閣」である訳で、そうしたことを一番よく知って「推進派」が今度は規制側に回ったとしては今後も”安全安心”などは到底有りようがない([大飯原発再稼働] 「安心」を後回しにした)。もちろん、彼らは単に己の仕事を失いたくないだけのはずで、推進でも規制でもどちらでもよいのだろうが、"専門家"が彼らしか居ないために結局彼らに全てを委ねることは同じ過ちを犯すことになる。これは決して想定外ではない。
”万が一”は”絶対に”ではなく、確率的には宝くじ(ジャンボの1等は1/10,000,000だそうだ)の3等くらいの確率で、因みに私は1万円が当たったこともないが、こうした確率の話は、地震が「ここ何年以内に何%の確率で来る」と似たようなモノなのであろう。だが、買わない宝くじは絶対に当たらないが、買った宝くじは、先ず間違いなく万が一にも当たるようなことはないのだが、理論的にもほぼ間違いなく無く、絶対に当たらないであろうが、買った以上は当たるかも知れない、等と思うのは実は「その確率で当たると考える」ような事は「狂気に近い」と言う様な話を読んだような気がするが、そう言った意味から考えると、地震、原発の「災害発生確率」はどうなんだろう。地震に遭遇するかどうかは、この地球に産まれてきた限り”買わされた宝くじ”で、原発はこの時代の日本に生きている限りにおいて”買わされた宝くじ”なのであろう。
だが、非道いことに地震の起きる確率は都下直下地震だ何だと騒ぎ、人心を乱し、ジャーそれに対して東京人民が地方に移転したというような話はトント聞かない程度のモノに考えれば、津波は想定内で、それが原発事故に結びつくようなことは想定外とするのは確率的には有り得ない話では無かろうか。最悪の事態を全く検討してこなかった、いや、検討する機会や助言があったのに人民の不安を煽るとかでそれらを黙殺し続けてきた訳だから、ある意味こうした事態を想定はしたのであろう。タダ単に具体的に想定しなかったのであろう。
流石の一般人民も今般の震災の最中、そして、その後の経過を見るに付け、それまで専門家とされてきた人々が実は最終的対処方法を何も知らない、いや知ってはいてもいざというときの為す術の無さに唖然としたことだろう。挙げ句に、関係者はそうした事態の結末に日本人が聞くのは大好きで、それを言えば半ばは許してもらえ、行政は大嫌いで絶対言わない「ゴメン」の一言を誰も言わない。挙げ句に昨今では時の経過と共に問題の本質の責任が那辺にあるか”胡散霧消”しかかり、挙げ句に、この夏の電力の安定供給を”人質に”、電力使用量ピーク時を間近に控えた今、明らかに「ゴメン」を言うような筋合いの輩により原発再稼働が提唱されているのだが、彼らにより規制、監視され安全が保たれると言う論理は不可思議としか言いようがない。
いくら日本人が忘れやすい民族・国民、例えば「AIJ投資顧問の企業年金資金消失問題」だが、この場合はもちろんAIJが詐欺的なのは間違いないが、それよりも運用に全くの無知の天下り役人が”投資の専門家”とされたのが根本的な間違いで、詐欺的なのを見破るのが役目なのに、見事に引っ掛かかっているのだから話にならない。この問題が年金が削られてしまう人以外には記憶の彼方に消え去ろうとしている今日この頃だが、何故かと言えば、余りに大きな問題が次々と起こりマスコミがこの問題ばかりを追うことが出来なからだろう。こうした状態はこれに荷担した業者より役人達にとって最もありがたいことであろう。
と思っていたが、流石そうも行かず 「AIJ社長らきょうにも逮捕 年金消失、詐欺などの疑い」日本経済新聞(120619)となるようだ。ただし、「一般素人」が騙されたのならそれは詐欺だが、今回の場合は各年金基金の担当者が素人であるにも拘わらず、そうした立場に有れば「玄人」と扱って良いというシステムそのものに問題有ったのであり、リーマンショックでもない限り上手く回ったのかも知れない。根はオリンパスと同じ。社保庁天下り関係者が善意の第三者的な扱いになり、何ら責任を問われることが無いような事態だけは避けてほしいモノだ。
大飯再稼働「私の責任で判断」 首相、福井県の同意条件 2012年5月30日20時38分
首相は会合で「関係自治体の一定のご理解が得られつつあると認識している」と強調。さらに「再稼働ありきではなく、安全性ありきの原則が大前提だ」と述べたうえで、「立地自治体の判断が得られれば、最終的には4大臣会合でしっかり議論し、最終的には総理大臣である私の責任で判断する」と語った。
専門関係者も「安全」と必ずしも言っていないのに、科学的問題の可否を政治的に安全を担保する事が出来るわけがない。フクシマから何も学んでいない。政治的担保が如何にどうであろうと、健康、詰まりは命を掛けるのは立地自治体の住民である。もちろんこうした仕儀は公然たる茶番劇なのだろうが、それにしても茶番過ぎる。そして、特に震災当時枝野さんが連発しまくった「直ちに影響ない」と言うのは、短期暴露、長期暴露の問題かと思いきや、枝野さんの説は「驚くべき」モノであった。
民主・枝野トンデモ釈明!「直ちに影響ない」に3つの意味 2012.05.28
国会事故調に参考人として出席した枝野氏=27日、東京・永田町【拡大】
「直ちに影響を及ぼすものではない」。福島第1原発事故で飛散した放射性物質について、枝野幸男官房長官(当時)が再三繰り返したのは記憶に新しいが、27日の国会の事故調査委員会に参考人として出席した枝野氏は「(意味は)3種類あった」と驚くべき自説を展開した。
枝野氏はこの日、自分の記者会見内容を全部チェックしたとして、使い方を説明。(1)出荷制限前に出荷された放射性物質の暫定基準値を超える食品を何度か食べた場合(2)屋内退避区域に食料品を搬入し、一時的な屋外活動をした場合(3)事故直後、原発の北西地域で部分的に高い放射線量が観測されたこと−と弁護士出身の枝野氏は釈明した。
このうち(3)は、その後も高線量が続き住民が居住できなくなった。枝野氏は「この使い方が正しかったか分からない」と事実上、不適切だったことを認め「(事故直後の観測は)部分的で、モニタリング数も少なかった」などと弁明した。
委員の一人は3種類の使い分けについて「住民にはそういうニュアンスでは伝わっていない。政府発表に不信感を抱いた」と指摘。枝野氏は「より細かく、詳しく分類して申し上げるべきだった」と述べた。
「直ちに影響はない」は5年間有効のようだ。 チェルノブイリで医療支援 菅谷昭さん講演…栃木 (2012年6月18日 読売新聞)
東京電力福島第一原発事故を受け、市民の心構えを持ってもらおうと、栃木県佐野市医師会は17日、1986年のチェルノブイリ原発事故後に現地で医療支援活動を行った外科医で、長野県松本市長の菅谷昭さんを招き、佐野市の田沼中央公民館で講演会を開いた。
菅谷さんは91年からベラルーシで医療支援活動を行い、96年から5年間現地に滞在した。
講演では、事故後26年たっても30キロ圏内に人が住めない地域が広がっていることや、事故直後は変化がなかった子どもの甲状腺がん患者数が、5年後から増加し始めたことなどを説明。森林や沼地など広大な土地の除染を行うことの難しさを指摘した上で「放射性物質を体内に取り込まないように自己管理することが重要だ」と話した。
大学生と小・中学生の子どもを持つ佐野市堀米町、主婦(47)は「正しい知識を集めて子どもを守らないといけないと思った」と話した。
こうした「直ちに影響ない」事柄は人々から忘れた頃、昔で言えば、”人の噂も75日”で「ほとぼり」も冷めるのだろうが、流石に今般の震災のように問題が余りに大きいとそうそう短い間に終わらないはずなのだが、この夏には「原発」と言うコンセプトは再稼働されようとしている。
こうした事故は想定されて居たはずで、事故当時、「想定外」(「巨大津波は、福島県沖で大きな地震が過去になかったため想定しておらず」)を連発しまくり、さらには未だに原因も不明どころか、完全に不明を宣言しながら(「主要設備に地震による損傷は確認されず」)、時の流れ的に既に”総括”されたが如く、過去のこととして忘れ去られたが如く再稼働は「最終的には総理大臣である私の責任で判断する」事になろうとしている。
元々影響が出るなら次世代に出ると言われている放射能の影響が何十年、世代と言えば、多分30年か後に影響が出たとき、それが「直ちにではない影響」なのだが、それを素直に専門家・政府が認めるであろうか。恐らくそれは、まず間違いなく有り得ないことで、これまでの例外になることはなく、「因果関係は不明」or「発症メカニズムは未解明」とされる事になり、下世話に言う「有耶無耶に」される事になる。
そうさせないためには事件発生当時からか長期にわたる経過観察が必須であるはずだが、そうしたモノは「環境の数値を測るのはいいが、人を測るのは不安をかき立てるからやめてほしい」と言うことで、有耶無耶どころから”無耶無耶”にされてしまう。そして、最悪の場合には死亡者などが出るのだろうが、そうした場合にも、水俣病の未認定患者の存在等に見るように時の彼方に葬ろうとする。
さて、そう言えば、怪文書ならぬ、”怪FAX”がネット環境を持たない低周波音問題関係者の一部に出回ったと聞いた。それによれば、事件の現場を苦しさに耐えられず離れた者(私を名指していますが)は「今は被害者ではない」と言っていると言うことである。今も低周波音の後遺症に苦しむ私としては、どこからこうした発想が出てくるのか全くもって理解できないが、こうした事実誤認のついでに私の正しくない情報まで付け加えてFAXで送られたと言う(実はこれのコピーが私にも送られてきたのだが)。
こうした仕儀は極めて限られた”ネット・ツンボ桟敷”にいる(実はこうした人が低周波音被害者には少なくないのだが)低周波音被害者を”何らかの意図”で操ろうとしている悪意の意図が見られる。この「現場にいなければ被害者でない」という定義は、「原発放射能を恐れ現場を避難した人々は、今は被害者でない(其処に残っている人だけが被害者だ)」という論理と全く同意である。こうした論理を振り回す輩が今現在もシャーシャーと風車被害者の支援をして居ると聞くと、その姑息な立ち回りは実におぞましい。
私の知る限り、この人間はかつても個人情報をネット上に流すような事を平気でしているが、他にも「怒り心頭に…」を結構やっているらしい。こういった存在こそが所謂「獅子心中の…」というのだろうが、また、こうした存在は組織の”活性化”には必要かも知れないが、何時か必ずや徹底的な過誤を冒し、組織を壊滅に到らせる危険大である。こうした存在を”駆除”することは組織や団体の長期の存続には極めて必要なことであろう。
思わず時間が掛かっているのでひとまずこの稿は「書きかけの稿」としながらも終わることとしよう。
120614
最後まで読んでくれて有難う