愛知・田原の風力発電騒音訴訟 3/7


3.ここまでの私的思い上空から田原市組原風力発電所

3-1. メラビアンの法則

 と言うところが両者の言い分のひとまずの「見出し」だが、その「項目の長さ」を見ただけでも解るように、内容は別にしても、素人的には「厚み」では甲(18P)は乙(68P)に完全に負けていると思ってしまう。もちろん訴状が厚ければ良いと言うモノではなかろうが、こうした内容に関しては、裁判官もド素人であるはずで、(もし、お詳しいなら失礼)やはり「見た目が9割」だと思うのだが。
 ただ、「見た目」というのは「非言語コミュニケーション」の最たるモノで、こうした作文と言う、これまた実に「言語コミュニケーション」の最たるモノと言う、「思うところを伝える」と言う手法の両極端に位置するモノで、やはり、「人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。」メラビアンの法則からすれば、この視覚的圧倒的差は忽せにはできないとは思うのだが…。

 と思いつつ、とにかく読んでみると、乙の作文で立派なのは実はその「厚み」であることが解る。普通に読んでみて、立て板に水のごとく述べられているのは、終わり部分の”風車を建てる前の、設置にあたっての法的手続き”が如何に遵法的に行われたかの部分で(上記作文の4〜6)で、その詳細はまるで乙側の当該弁護士が実際にその手続きを行ったのではないか、でなければ、風車設立手続きのためのマニュアルが、それなりの弁護士仲間内に有るのではないかと思わせるほどで有る。さらには当時の状況が手に取るように解るような記述が散見し、将に”今日が有るか”を想定していたような感じさえ受けるのである。

 しかし、設立に際して書類等の手続きが完全に遵法的に行われなければ、当時としてはおいしいはずの1/3の補助金も出ないはずで、そもそもからして風車は建たないわけだから、バッチリできていても驚くに当たらない。その法手続も補助金支援元のNedoは、それをチェックできる能力も陣容も無いわけで、基本的に×××印になってしまうわけで、”専門家にお任せしておけば大丈夫”と大多数の国民が勘違いしていたことは原発よりかなりレベルというか巧妙さは劣るものの基本的には税金が垂れ流し的になっていた可能性は否めない。

 さらには、乙の作文には少し調べれば直ぐ解るような「杜撰な見当違いの証拠」や「根本原則のちゃぶ台返し的論理」がばらまかれているような気がする。


3-2.報告書中の”「騒音目標値はA特性音圧レベルで35dB」は民間の一業者が提案した目標値にすぎない”というのは誤認である

 当初、裁判系の読み物の読みにくさとその”厚さ”に圧倒されたが、読んでみれば、認識不足に基づく、 「杜撰な見当違いの証拠」もあり、その最たるモノが、「1 中電技術コンサルタント推奨の35dBは受忍限度の要素にな らない」は良いとしても、その理由の一つが、「中電技術報告書記載の推奨値35dBは,民間の一事業者である中電技術が提案した目標値にすぎず,原告の主張は失当である。」とした点である。

 そもそもこの報告書平成24年度 風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討調査業務 報告書)は表紙を見れば解るように「環境省請負業務」とあることから、発注者は環境省であり、中電技術は、その調査業務の報告書作成の業務を落札して、担当したに過ぎない。実際の検討調査業務に従事しているのは、「本業務の各種検討及び報告書の作成に際しては、下記に示す有識者の方々に検討会委員及び小委員会委員の委嘱を行い、検討会・小委員会において、活発な議論・検討をいただいた。…。本報告書が広く有用な資料として活用されることが望まれる。」とあり、言うまでも無く、この報告書は環境省と言うお国が、”風車騒音問題をロンダリングするために、お国出入りの有識者の検討に延々と時間をかける”と言う、国の多くの施策において、必要とあれば強烈にかかる政治的バイアスのもとでなされた報告書であることは明白であり、内容について”民間の一事業者”が内容について「提案」したなどとは、誤認も甚だしい。報告書作成の経緯は「第2回風力発電施設に係る環境影響評価の基本的考え方に関する検討会における各項目毎の検討員意見概要」を見ても明らかである。

 少なくとも、この部分を書いた弁護士とそれを読んでも気付かなかったor読まなかった”チーム・リーダー”の弁護士は、責任的には”昨今の理研”並に一人に押し付ける様なことはできまい。


3-3.”超静音風車”北海道寿郡町風太風力発電所

 
 
 奇妙な風車

 これは訴訟のメインの流れではないのだろうが、乙が”風車騒音の程度と人家までの距離”の関係で、”問題の無い例”として、「他地域における実際に稼働中の発電所との比較」(第2−2−(4)−@)に取り上げている「北海道寿郡町風太風力発電所」(北海道寿都郡寿都町歌棄町歌棄72)がある。
 このサイトを見ると、ここでの風車と住家(老人ホーム)との「離隔距離」は、実に180mである。この状況で、なぜに騒音問題が無いのか、むしろ非常に不思議な例である。さらに200m〜300m内には他の住家も散見される。こうした例から見れば甲の風車からの距離:約350mなどは「受忍限度以前の問題」となろう。

 しかし、あのNEDOの風力発電所ガイドブックにでさえ「風車が1基(800kw、ハブ高:50m)のみの場合、通常250m 程度離せば生活への影響はなくなるとされている。…。なお、風車の設置数が増えると騒音も大きくなるので、この場合は風車からの距離を離す必要がある。」と有るにも関わらず、「第3回風力発電施設に係る環境影響評価の基本的考え方に関する検討会資料」として発表された「寿都町における風力発電への取組み」の5ページ掲載の「風力発電所の仕様概要」によれば楓太発電所は「1,990kw×5基、タワー高64m」である。本当に施設に近い(180m)のは1基だが、規模からすればNEDOガイドブック的にもさすがに最低でも300m以上は必要であろう。さらにそこは建設後の夜間測定調査では”環境基準値と比較して×”となっている(p.13)。乙側弁護士が如何に「杜撰な見当違いの証拠」”によりこの答弁書を作成しているかの傍証として提示しておく。

 この状況で、寿都町によれば、施工前で、「最も近い歌棄慈光園で、50デシベル程度(静かな事務所程度)となるものと予想しています。」とあり、施工後は
「第3回風力発電施設に係る環境影響評価の基本的考え方に関する検討会」における、「寿都町における風力発電への取組み」において、「慈光園での事後調査結果(騒音)」において、「計測結果からも実際の状況も問題なし。苦情発生なし。」(P.14 )とある。

 これが”普通の風車”と乙のように認識すれば、NEDOではないが、風車からの距離は200〜300mもあれば十分過ぎることになろうが、同上文書P.15の「慈光園での事後調査結果(A地点)」によれば、なんとこの風車の騒音は”風車停止時の方が、運転時より平均騒音数値が低い”と言う、"静音風車"とでも言える、きわめて革新的な”奇妙な風車”なのである。

 しかし、これは、一応”騒音の正しいとする測定・評価方法”である「等価騒音レベルの測定方法」によれば”統計のマジック”と言うより稼働時間と騒音値から平均値を出してくればあり得ないことではないので一応納得しておくが、やはり、そもそもにおいて、騒音における測定法が如何に科学的で有ろうとも、実に非合理な方法なのである。
 
3-4.暗騒音は大きく,風車音は小さい

 測定値に関する基本的な話は後に5.被告準備書面で述べられている「2 暗騒音は大きく,風車音は小さいという様な見出しだけ見れば、暗騒音は大きく、風車音は小さく、風車音は暗騒音に紛れてしまい、さも問題ないのだ、と勘違いしてしまいがちだが、しかし、それは全く違う。
 
 単に暗騒音だけの絶対騒音値の方が風車騒音値だけより大きいと言うだけに過ぎないのである。何とも当たり前のことで、もし風車騒音のほうが、暗騒音より大きかったらその辺り一面は風車轟音に覆い尽くされてしまう。すなわち、例えば、暗騒音が5として風車騒音が1とのようなときに、「暗騒音は5で1より大きく,風車音1で5よりは小さい」と言うにすぎない。
 
 しかし、風車音が加わる事によりなにがしか暗騒音の数値は増すはずである。この場合で単純に6になる。従って、風車停止時と稼働時の音圧の差を比べ、その中に増加した部分があればそれが「風車の騒音」であると言うことにならざるをえない。これを暗騒音を一定にして、稼働時と停止時を示すことは時間的経過を平均化する等価騒音方式で示すことは難しいと言えよう。さらに厳密に言えば、風車近傍では風車のアイドリング(?)的な騒音は停止時にもしており、最早風車設置以前の本来の暗騒音は得られないのが事実らしい。そうした状況は風車による自然破壊でも風力発電に限らず、「建設前の状態記録」が完全に残されているわけでは無く、事前・事後の比較は現状では不可能であろうと聞いたことがある。


 さて、ここで話を戻すが、チョイと横にずれ、なぜこうした”奇妙な風車”が存在しうるかの"推理"だが、以前から、「老人施設の入居者が、施設の低周波音で苦しんでいる」という話は聞いている。高額有料老人ホームならいざ知らず、庶民に手が届く様な”終の棲家”であれば少々難があっても文句は言えまい。もし、仮にその音源が風車からの低周波音であっても測定されることは無く、文句の言い様が一層難しく、下手すればどころか、しなくても、間違いなく”みんなが聞こえない音が聞こえる”キチガイか少なくとも認知にされてしまうのが落ちである。私は認知になったとき低周波騒音を感じるのだろうか。できればそうなる前に死にたいモノではあるが。

 この風車に「最も近い歌棄慈光園」は「障がい者支援施設」と言うことであり、その隣には同系列の「特別養護老人ホーム 寿都寿海荘」と言うことになっている。こうしたところの人たちが上記のようになっていなければ良いのだが。ここの経営は地元最強と思われる社会福祉法人であるから、ここに”お世話に”なっている本人の意向より、家族の意向重視で”利用者様”自身が「苦情」を発することは相当に難しいであろう。


 で、次なる書面だが


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