エコキュートを買う前に
エコキュートは本当に”経済的にお得”で、静かなのか


"科学的"知見の欺瞞 10/12


−3.「参照値」のデータ解析問題点

 ここで上記の記述に戻ってみよう。まずは「非常に大きな集団」という点に着目したい。「参照値」作成の際の29人という母集団は「非常に大きな集団」と言いうるか。余りに少なくはないか。
 更に、「パーセンタイル」では、信頼区間(CIConfidence interval)として、「100回同じ測定を行い信頼区間を得た場合、95回まではその範囲に真の値が存在する推定区間である」として、慣例上95%信頼区間が多用されるのであるが、「参照値」の場合は「90パーセンタイル値」が採られている。9095の差がどれほどのモノであるかは解らないが、何故わざわざ慣例の95%でなく90%としたのであろうか
データの正確性に問題が有ったからでは無かろうか。

 更にデータ解析の根本的問題として、データ解析を医学の分野で適用するときの注意として、

@知見をどのような項目で数量的に表現するか?
A対比すべきグループ(正常群や他の疾患群)の確認ができているか?
Bその知見の説明要因として,どのような所見や項目を選ぶか,その選び方に医療や臨床の経験が生かされているか?
C目的にかなった解析方法が選ばれているか?
Dコンピュータなどで得られた解析結果は「いつも正しい」と,鵜呑みにせず,医療や臨床の土俵で解析結果をしっかり吟味,検討するという考え方がしっかりしているか?


「データー解析の考え方に当たって」

 と言う問題があるが、これらの注意が払われたのであろうか。「参照値」について考えてみよう。

 まず、Aの「正常群と疾患群」において、年齢差、住環境、などは考慮されたのであろうか。参加した人の話では、「被害者である疾患群は高齢が多く、正常群はアルバイトで雇った近隣の若い人が多かった」と言う。

 そして、決定的にはBの問題との絡みで、そもそも疾患群をどうやって確認、チョイスしたのであろうか。実はそれは「できない」はずである。何故なら、この疾患群は単に「本人達が低周波騒音被害者であると言っている」だけであり、今日まで、低周波騒音被害そのものに対して環境省を始めその道の専門家自体が「被害」そのものを否定し続けているため、「(汐見氏以外の医師による)医療や臨床の経験」など全く存在しないのである。従って、医療や臨床の低周波騒音被害の知見なるもの自体が全く存在しないはずなのである
もし、被害者の存在という知見があれば、低周波音被害者は被害者となっているはずだ。「参照値」が欺瞞の中で創られた数値なのだ。

 即ち、低周波音被害に対する科学的・医学的知見は何ら存在せず、その存在しないはずの”知見”の元に集められた疾患群を元に創られた”科学的知見”である「参照値」は決して科学的な知見とはなり得ないはずである

 「医療や臨床の経験」からくる唯一の知見とも言える汐見氏の知見は、「他に知見がない」「公的知見ではない」として環境省により退けられている

 しかし、逆に、“だからこれは「医学の分野」のデータ、解析ではないからどうやっても良いのだ”と言い切り、上記のような七面倒くさい事を一切考慮する必要はない、とも言い切ることもできる。確かに「参照値」のデータ収集に際しては極めて少数の(人間を工学的≒ロボット的見方をする)理工系分野の人間しか携わっておらず、少なくとも医療や臨床系の人間は全くタッチしていないようであるから、居直れば居直れる。
 
 ではこの「参照値」という数字は一体何であろうか。


7−4.公害対策基本法 第9条第3項

 そもそも、これらの科学的らしい尤もらしい数値はどこから出されるのか。それは公害対策基本法第9条第3項に依る。

府は、大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染及び騒音に係る環境上の条件について、それぞれ、人の健康を保護し、及び生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい基準を定めるものとする。
前項の基準が、二以上の類型を設け、かつ、それぞれの類型をあてはめる地域又は水域を指定すべきものとして定められる場合には、政府は、当該地域又は水域の指定を都道府県知事に委任することができる。
第一項の基準については、常に適切な科学的判断が加えられ、必要な改定がなされなければならない
政府は、公害の防止に関する施策を総合的かつ有効適切に講ずることにより、第一項の基準が確保されるように努めなければならない。

 この9−3の「科学的判断」について具体的には環境省としてはどう考えるかが述べられている文がある。それは、一昔前、昭和53年(1978年)七月五日の「第084回国会 公害対策並びに環境保全特別委員会 第26号」の議事録である。詳細は115000語超、ワード文書にして50枚を超す、大書なので当該サイトをご覧頂きたい。

 この委員会では当時最も問題となっていた大気汚染の「窒素酸化物、NOxの環境基準の問題」について各党から質問をするという形になっており、問題は、「窒素酸化物、NOxの環境基準を緩めるのは是か非か」と言う事である。

 昭和53年(1978年)と言うのはどういった年であったかを思い出していただくために蛇足を加えるが、この年ピンクレディーが大フィーバー、ルイ・ヴィトンが日本に上陸、キャンディーズが解散、竹の子族が出現、伊豆、宮城でM7以上の地震があった年である。

 このファイルに関して、これは大気汚染の問題であり騒音とは関係ない、と言う見方もあろうが、公害一般に於ける考え方の基礎的内容が極めて熱く論議されている文章であることは確かである。中でも、当時、社会党の島本虎三議員と環境庁大気保全局長で説明員として出席している橋本道夫氏との今も続く産官学との癒着に関する論戦などは現在の国会審議では見られない白熱したモノである。

 橋本氏の答弁から私は環境省的思考の多くを知ることができた。現在の環境行政マンは彼の手法と手練手管は学んだであろうが、彼の心を学んだとは思えない。

 彼が述べている印象的な言葉を羅列しておこう。

 橋本説明員 環境基準というのは、やはり一番基本でございまして、特に健康保護の問題についてが一番基本でございます。いま議論されている程度の細かさを要求するのは、将来、恐らく環境基準はほとんどできなくなるだろうと思います。これは正直に申し上げまして、そう申し上げなければならぬと思います。そこまでの議論を詰めなければ環境基準はいじれないという議論になりますならば、恐らくこれはほとんどの場合絶望的であろうと思います。そういうことで九条三項というのは設けられたわけでありまして、あるところで。ぱっと割り切ってやる、そしてその後で科学的に検討してみて、直すなら直す。

橋本説明員 行政として決めますときには、基準を決めたのは、これは行政が独断で決めるという意味ではございません、決めたことは政府が責任がある、こういうことでございます。これは専門委員会、審議会が言ったから決めましたなんて、そんなような逃れ口上を言うことじゃございません。ですから、一番の核心は、定期的に常に科学的な点検、判断を加えるというところが最もの核心でございます。

橋本説明員 環境庁はどのような基準検討の考え方をしておるかということにつきましては、いつでも申し上げておりますように、幅として答申をいただいて、その幅を生かす。基準条件はどうなるかわからない。基準条件は上をとるか、真ん中をとるか、下をとるか、幅だということを絶えず言い続けてきておるわけであります。そういうことで、幅になってくる公算は高いということは申せますが、そこまで固まったわけではございません。

橋本説明員 専門家として書くならば専門家としての肩書きで専門家として学会誌かあるいは専門誌にはっきり投稿してやるということがキーでございます。いずれにも肩書きが入っておりません。ですから、専門委員会では一切その資料は使っておりません。

橋本説明員 経済や技術の問題は、専門委員会では技術的可能性という問題は全く入りません。何にもそれは考えてもらわなくて結構だということで申し上げております。ですから、経済や技術の角度からこの数字はどうのこうのなんということは、これは議論になり得ない、言ったところで無視されて問題にされない、このようなことが専門委員会の状態でございます。

橋本説明員 アメリカの文献を引いて、それは高い濃度であるから非科学的だという御議論がありましたが、やはり科学というのは、内外の文献でどこまで理論がかっちり固まって合うかということをするために、非常に不利なデータでも何でも本当に学界論文として認められるものはそれを出して議論をするということが科学の立場でございます。

橋本説明員 一つは環境基準の問題、一つは政策の問題、一つは防止技術の問題、一つは費用効果の問題、一つは規制のスケジュール

橋本説明員 自然科学の一部門のみの観望によってできることではない。

橋本説明員 これは地方自治体にも言っております。そういういろんな意見を全部整理をいたしまして、どんなところにどういう批判があるか、どういうものがあるか、それに対してはどういうぐあいに対処しなければならないかということで、自治体の意見とか産業界の意見とか、患者さんたちとも、まだ不十分だという御批判があるかもしれませんが、できるだけの話はしてみました。そういうことをいたしてみまして、そしていまの最終的に基準をどうするかということで、先ほどの幅の運用とかそういう議論に入ってきたわけでございます。


 その後、大気汚染問題は以下※のようになった。

排気ガス公害「西淀川訴訟」(大阪市) 昭和53年(1978)

大阪市西淀川区の公害病認定患者と遺族が、自動車の排気ガスに含まれる二酸化窒素(NO2)などによる複合大気汚染で、喘息などの呼吸器疾患になったとして、道路管理者の国と阪神高速道路公団を相手に、環境基準を超える車の排気ガスの排出差し止めと損害賠償を求めた事件。1次〜4次訴訟の結果、平成10(1998)729日に20年ぶりの和解が成立。

 川崎公害訴訟(神奈川)  昭和57年(1982)

昭和30年代から40年代にかけて、高濃度の大気汚染が現出し、環境基準を上回る二酸化窒素(NO2)、浮遊粒子状物質(SPM)により大気汚染が長期にわたり続き沿道の生活に大きな影響を及ぼした。
 喘息などの公害病認定患者と遺族ら495人(1999年現在)が、企業や道路管理者の国・公団を相手取り、この年より平成111999)年5月に和解するまでの17年にわたり争われた

 名古屋南部大気汚染公害訴訟  平成元年(1989)

名古屋市南部地域と東海市の住民145人が、名古屋南部地域の企業11社及び国道1号、23号等の設置管理者である国を相手に訴訟を起こす。

 ※田中正造とその郷土 http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/index.html



10 11 12 HOME